最新作『21世紀の女の子』『おいしい家族』映画監督ふくだももこ インタビュー 後編

—-そして現在、劇場で絶賛公開中の『21世紀の女の子』ですよ!山戸監督が集めた15人の女性監督が短編を撮りそれを集めたオムニバス形式。事前にももちゃんから聞いてたけど濃密で疲れました!笑 もちろんイイ意味で!この仕事はどういった経緯で?

ふくだ「ありがたいことに山戸監督ともう1人のプロデューサーのダブル指名で、去年の2月にうちにオファーが来たの。プロデューサーがうちの小説を読んでくれたようで…」

—-ももちゃんは小説2本出してるからね。笑 受賞もしてるという天才ぶり!

ふくだ「いやいや。山戸さんなんて雲の上の存在で。いつか同じ時期に同じ映画館でお互いの作品が上映されたらええな〜ってなんとなく思ってたら…まさかの向こうから声をかけてくれて…

—- ご指名は嬉しいね。じゃあオファーのきっかけは小説なんだね。『21世紀の女の子』はオムニバスだけど全作を貫くテーマがあるじゃない?
“自分自身のセクシャリティあるいはジェンダーがゆらいだ瞬間が映っていること”それ以外は特にノーヒントで丸投げ?

ふくだ「そうやな……むずい。笑」

 

 

—- 笑 でその中の『セフレとセックスレス』という作品をももちゃんは撮ったわけだけど、テーマはどう解釈したのかな?

ふくだ「正直言うと、頂いたテーマの前にもうこのタイトルだけの閃きはあったんよね

—-タイトルがイイよね!笑  一行でもうすでに矛盾が生じてるという。

ふくだ「そうそうそうそう!この一行で2人の人間がいて過去、現在、未来が混在する感じがして面白いよね」

—-相反する言葉でもないしね、絶妙なバランスだよね!

ふくだ「実はこれうちの元カレの携帯のメモにあった言葉で…笑

—-え!そんな大胆なメモ!彼氏にセフレがいたの!?笑

ふくだ「そういうわけじゃなく、たまたま彼がワードとして面白い!とも思ってメモったみたいで」

—-『貧乳クラブ』もそうだけど、他の人から与えられたヒントに化学反応起こして数倍も面白くする力がふくだ先生にはあるよね!

ふくだ「先生はやめて。笑 “自分自身のセクシャリティあるいはジェンダーがゆらいだ瞬間が映っていること”っていうテーマに対して、うちなりにいろいろ思うことはあったんだけど、それを8分の短編には昇華できなくて…。その時に彼氏のメモを思い出して、最初はこのタイトルでPVでも撮ろうと思ったんだよね。友達に歌ってもらって」

—-作品内にも主題歌として流れてたね

ふくだ「そんな時に『21世紀の女の子』のお話を頂いたから。テーマと関係あるとは言えないけど、やっちゃおうと。笑

—-笑  黒川芽以さんと木口健太さんのキャスティングはどういう経緯?

ふくだ「脚本を書いた時から最初からこの2人にお願いしたいと思ってたんだよね〜。黒川さんは前に撮った『父の結婚』を観てくださって私の作品が好きだって言ってくれてて!で、それから交流はもともとあって『セフレとセックス』の脚本送ってくれたら快く承諾してくれたんだよね」

—-黒川芽以さんがセフレ役だなんて…ぜ、贅沢な…!

ふくだ「それで2人でカフェで脚本読んでくれて、その場でどうなったらもっとよくなるか?って話し合ったの」

—-じゃあ、黒川さんと2人で脚本をブラッシュアップしたと。

ふくだ「そうそう!好きだから感じなくなったっていう話なんだけど、そのアイデアは黒川芽以さんが出してくれたの」

—-はぁ!なんと素敵な提案!タイトルに沿った、物語の核を表した言葉じゃん!

ふくだ「そうそう!もともとはもっと詩的な話だったんだけど、黒川さんのその提案で作品のトーンが変わったんよね

—-黒川さんのベッドで仰向けになってて、下半身は写ってないんだけどどうやらセフレ役の木口さんがいろいろ工夫をこらしてくれてるんだけど…黒川さんは感じないという。「あれ?ここ気持ちがってたよね?」って。いや、手もみんじゃないんだから!笑

ふくだ「あはははは!笑 あの場面もうちと黒川さんで考えたんだよね。その脚本ミーティングしてる場に木口健太さんを呼び出して、読み合わせしてもらったんだ。笑」

—-カフェで!笑

ふくだ「即興芝居もしてもらったし。そこでの2人のとっさに出てくる表情もいいし言葉も良くて」

—-そうなんだ!じゃあ、そのキャストと作り上げてく感じ、自主映画に近い楽しさあるね。

ふくだ「そうだね!あの映画は基本みんなそんな感じなんだけど、うちの作品が一番手作り感あったかも」

 

—-マニキュアのシーンも良かったし、ももちゃんの映画は自然な日常会話になりつつ笑えて、ちゃんとエンタテイメントになってるよね

ふくだ「自分なりに短編を面白く撮れるよう工夫してて、8分で起承転結やるのは難しくて1つなにかを飛ばさなきゃいけなくて…。うちはちゃんと終わらそうと思ってて、タイトルの主張が強いのと主題歌があらすじを代弁してくれてるってのはありがたかったね」

—-映画始まって『セフレとセックス』ってタイトルが出た時点で「起」はもうすでに済んでるという。笑

ふくだ「そうなんだよね」

—-タイトルと歌が秀逸で短編の手助けをしてくれてるんだね。終わり方も2人の決着はついてるけど、まだ未来もあっていいよね。あと黒川芽以さんのあの最後のセリフ!彼氏や夫に対しては絶対出ない言葉だよね。セフレだから出る一行。全くそれまでエロさを感じなかったのに…最後エロかった〜。急に色気が出てドキッとしてしまいました。

ふくだ「やったぁ!そうやねん!あそこだけは綺麗に撮ろうと思ったの。普段、綺麗な人を人間的に醜くとろうと思ってて、ただあのラストは綺麗に撮ろうと心がけてたね。普段うちあんまり演技の演出はしないんだけど、あそこはけっこう指示をしたし、カメラの角度も工夫した」

—-びっくりしたよ!急にエロいじゃない!ももちゃん!笑

ふくだ「よかった。エロいシーンうちが照れちゃうし、観てても余計なこと考えちゃうん…笑」

—-その照れはあるよね。タイトルにセフレとセックスって言葉が入ってるのに、内容はエロくないという。エロ目的で観た人はブチ切れだね。笑

ふくだ「そうなんですよ。すみません。笑」

 

—-そんなふくだももちゃんは新作『おいしい家族』公開が控えているという!

 

ふくだ「前に撮った短編の『父の結婚』を長編にしませんか?とお話いただいて、長編で商業映画デビューさせていただけるというありがたいお話。あの時描ききれなかった事をここで改めて描かせてもらってるのでぜひ観てください」

—-今後が楽しみ!応援してます!

ふくだ「ありがとう!斉藤くんも演技磨いて役者デビューしてください!

—-演技苦手!

ふくだ「知ってる!下手だもん!笑」

—-ひぃいい!

 

『21世紀の女の子』現在劇場にて公開中

http://21st-century-girl.com/story/

 

『おいしい家族』9月20日 全国ロードショー

 https://oishii-movie.jp/

 

ふくだももこ

https://twitter.com/fukuda_27

 

聞き手:ジャガモンド斉藤

インタビュー写真:えりざべす

3/22公開!超新作映画『新宿タイガー』感想文 〜自分主役の映画をどセンターで観る主人公、万歳!〜

今年は寅年か?って思うくらい色んなトラがスクリーンで暴れまくる2019年

「Kis-My-Ft2」の北山宏光さんが主演の転生して猫になった父を描く『トラさん僕が猫になったワケ』は現在公開中で、年末には山田洋次監督の寅さん50作目となる『男はつらいよ』が公開される。

そんなトラ映画の中、タイガーマスクを被り40年間、新宿で新聞配達を続けた男・新宿タイガーに密着した『新宿タイガー』が3/22に公開される。

仕事場が新宿になることの多い僕はピンクの衣装と虎のお面に身を包み自転車に乗っているところに遭遇したり、映画館でもお見かけすることのある新宿タイガーさん。

なぜ?と思いつつも、ご本人にいきなり聞く以外に深掘りする手段もないため、結果的には何の疑問にも思わないくらい自分の中で馴染んできてしまった存在・新宿タイガー……

いったい何者なのか?

縁あって本作のマスコミ試写会にご招待していただき前から2列目の中央に座った時。目の前、つまり1列目のどセンターに「指定席」と手書きで書かれたA4用紙が置いてある。「おや?」と思ってると、上映開始直前にピンクのブロッコリーが駆け込んできて着座。

自分の映画そこで見るんかい!

まさかの新宿タイガーさん、自分主演の映画をどセンター真ん前で観るという心意気!あっぱれ!

僕視点からすると本物の新宿タイガーさんナメの映画『新宿タイガー』を観る。という貴重な体験ができました。

 

さて、このタイガーさん。

映画と女性とロマンと夢をこよなく愛しているそう。

女性にいたっては毎晩、別の女性とお酒をかわし「あなたみたいな綺麗な人は他にいない」と決め台詞のような口説き文句を連呼。口説くといっても決して肉体関係を求めるのではなく、ひたすら女性を褒めちぎってその場で解散。

ややこしいが、まるで寅さん。

そんなタイガーさんの日常を追うこの映画に、不思議な気持ちを抱く僕。

というのも、あえて言葉を悪くするならば街で見かける「町のヤバい人」である新宿タイガーさんに対して、我々お笑い芸人は普通【ツッコム側】に回るわけです。なんなら自分らのネタ、他芸人のネタにそういった「町のヤバイ人」要素が入ってくることだってある。

こんなことを言ったら後出しジャンケンだ!と思われるかもしれませんが、正直僕はそういった人に対してそこまで違和感を感じません。

なんなら「自己主張万歳!」と共鳴しつつ、実際自分はそこまではやらないというズルい立場にいます。でも、潜在的にそういった方々を肯定している自分がどこかにいるわけです。

それは芸人としてどうなんだよ!と叱られてしまうかもしませんが、「町のヤバイ人」にちょっとした愛おしさや興味さえ覚えるレベル。

40年間、価値観や時代の流れを気にせず「ラブアンドピース」を胸に、タイガーマスクの格好を貫いてきたご本人におこがましくも親近感と尊敬の念を僕が抱いたことは確かです。

大袈裟に思われるかもしれませんが、タイガーさんの姿を見てなんとまぁ「継続は力なり」という立派な言葉を思い起こしてしまいました。

変な格好をし続けることが継続か?と笑う人の様子も目に浮かびますが、じゃあ私たちはいくつこの事柄を今までに継続しているか?と自問した時に押し黙ってしまうことは明白!大概の人が長年も継続してるのは飯食ってクソして寝ることくらいです。

 

この自分の気持ちは何だろう?と不思議な気分に浸っていると…映画内にタイガーさんの生年月日が映されました。

 

2月1日

 

いや、僕も!僕も……です!!!

 

嬉しさと困惑が50:50で去来しました。

この事実により俺もあっち側なのかも……なんなら数年後の自分の姿なのか…と不思議な可能性を感じながら映画は終了。

目の前にいらっしゃるわけだし、色々胸も熱くなってるから声でもかけようかと思ったものの、場内が明るくなった途端にタイガーさんは隣に座った美女に話しかけハッキリは聞こえないが「あなたはこの世で1番美しい」的なことを言ってるご様子。

少し待つか…と思いつつ、全員試写室から退場しても席を立たず美女と話すタイガーさん。…諦めてその場を後にしましたとさ。

新作映画『アリータ:バトル・エンジェル』感想文 〜腸をロープにはしないけれど破壊はします。あいやーーー!〜

殺した相手の腸をロープにして建物から飛び降りたりするおっさんを主人公にしちゃうロバート・ロドリゲス監督と見る人を選ばないエンタテイメントを世に送る強い女フェチのジェームズ・キャメロンがタッグを組んだ『アリータ:バトル・エンジェル』

最高の組み合わせではあるけれど、噛み合うのか!?もしくは化学反応が起きるのか!?と不安と期待が合わさった本作でしたが…万歳!!!見事なケミストリーでございあした!

キャメロンが大好きな美しく強い女アリータはパフォーマンスキャプチャーを用いたCGという事実を忘れてしまいそうな可憐さ。廃品場から拾われ再生した時の子鹿のようなおぼつかない歩み、オレンジを初めて食べて皮を吐き出すチャーミングな仕草、テレビで初めて目にするスポーツにワクワクして輝く瞳。

そんな純粋であどけない様子に心惹かれていると、後半のある点から一気に女に成長し戸惑います……あれ?こんな女女してた…?

久々にあった小さかった親戚が急に大人っぽくなっていた感覚に近い!…この発言が大丈夫なのかどうかは置いといて……これはピュアなハートでこの世に再生したアリータが大人、戦士になる成長譚。

成長には反抗期が付き物です。その思春期には親との衝突も当たり前。

父が我が子に望む「将来」と子が望む「未来」がすれ違い、衝突する親子。本能に従う娘とそれに抵抗しながらも父のくだした決断。

SFがとっつきにくい観客からしても身に覚えのある体験が縦軸になっているため、楽しめる作り。さすがキャメロン!拍手喝采!

キャメロンは大きなジャンルの中に誰もが楽しめる要素を放り込み間口を広げる天才。

『タイタニック』は客船沈没というパニックムービーに身分の違う恋愛を取り入れ、3時間を超える本編に「ダイヤの行方」というミステリー要素をブレンド。『ターミネーター2』はタイムスリップSFに親子、友情要素を取り入れ本来SFを観ない層にまで手を伸ばしている。

本作は近未来SFに【反抗期の娘とそれに抵抗する父】という普遍的な要素が軸になっているわけです。

そんなファミリー向けの映画にR指定作品ばっかり作ってるロドリゲスは不向き!ロドリゲスは我慢しながら本作を撮ったのか…!??

いいえ!!!

しっかりいつも通りの人体破壊描写ならぬ機械破壊描写を炸裂!

「人体ぶっ壊して内臓とか血とか出させてくださいよ!オレそういうのやりたいんすよっ!R指定上等っすよ!」といきり立つロドリゲスに、キャメロンが穏やかな顔をしながら「落ち着いて〜。機械ならいくら酷いことやってもR指定入らないからいいよ〜。めちゃめちゃにして〜。ね〜」実際にこんなやりとりをしたのかは定かではないけれど、微笑ましいやりとりが目に浮かびます。

ということで、ヘルメット外されたロボコップのようなサイボーグの死に顔めっちゃ映すわ、首飛ぶわ、八切りになるわ、シュレッターに挟まれるわ、目潰されるわ…で、人間でやってたら明らかにR指定であろう破壊描写祭り!

か弱そうに見える可憐なアリータが「あいやーーー!」と叫びながら次々と残虐すぎるほどに相手をぶった切っていく…相反する組み合わせは最高にアガる。

さらにこういった可憐×バイオレンスが見所のアクションが登場する構成もお見事。

アリータが闇討ちと戦う初戦で力が【覚醒】し、バーの地下での戦闘では自分の中に眠っていた【信念】に気づき、事実上殺し合いスポーツでは【葛藤】し、ラストの一騎打ちでは本来の敵を【自覚】する。

アクションでも物語は進行して止まらない。ちゃんとアクションが無駄にならず、アクションでストーリーを語ってくれている。

これは「戦士だった記憶を辿る自分探し」というのが物語の推進力にしたのが功をそうしているのだろう。

可憐さ、バイオレンス、アクションを用いて語る物語という3本がうまく絡み合い図太い1本に!その上、予想だにしない展開や複雑な人間関係など予定調和がなく刺激的。しかも、見る人を全く選ばず誰もが楽しめるという最強エンタテイメント映画が『アリータ:バトル・エンジェル』なのだ!!!

 

新作映画『アイアンガール FINAL WARS』感想文 〜あんあんガールはもういない!そこにいるのは戦う鋼の女!〜

まことに不勉強かつ失礼ながらエッチなあんあんガールな映画だと思いきや、ターミネーターやエイリアン2などSFの名作へのオマージュを散りばめたゴリゴリ近未来SFアクションだった明日花キララさん主演アイアンガールシリーズ3作目。

心の奥底のどこかでほんの少しほんの少しだけ期待していたエロ場面は皆無で、人類滅亡の戦いとなるFINAL WARSの鍵を握る天木じゅんさん演じる謎の美少女サラを巡る攻防戦を軸に明日花キララさん演じる主人公クリスが「自分探しの旅」に決着をつける太い物語にカウンターを食らいました。

『AKIRA』またはそれに影響を受けた『ルーパー』やNetflixオリジナルドラマ『ストレンジャー・シングス』のエルを彷彿とさせる殺傷能力の高い超能力を操るサラがか弱い少女というルックの時点でグッときてしまいます。

どう見てもか弱くてあどけない美少女が人類を終わらせるパワーを宿していて、どんなに屈強な大人でもそれは制圧することができない、というこの設定。ゴジラ少女です!小さい存在なのにうちに秘めてるパワーは怪獣級。しかも、サラには悲しい過去があり…。

映画の終盤である強大な力を持ったサラとクリスが分かち合いぶつかり合う場面があるのですが、舞台挨拶で天木じゅんさんが「涙が止まらなかった」とおっしゃっていた通り胸を打つものがあります。

そんなことを感じながらも「いつあんあんするんだろう」とか脳裏に浮かんでしまいましたが、この映画で男は端っこに追いやられた脇役にすぎませんし、男性観客が望むような性的接待もない。変身場面でほんの少し見える乳首も、はい。これでいいでしょ?嬉しいでしょ?といういい意味で作業感のほとばしること絶妙なエロバランス。

物語の真ん中で戦い葛藤する人物はすべて女性。戦う女の映画!それがアイアンガール FINAL WARSなのだ!

2月22日公開!超新作映画『サムライマラソン』感想文 〜黒船がパワハラという概念を日本に運んでくれてたら彼らは走らずに済んだ!〜

日本のマラソンの発祥と言われている安政遠足。

みんなで水筒やお弁当。金額上限を決めたおやつをリュックに入れて出かけるあの楽しい遠足が元なの?とふとよぎりましたが、遠足(えんそく)ではなく遠足(とおあし)と読むそうです。

黒船来航により幕府が揺らぐ中、安中藩主・板倉勝明は藩士を鍛えるために遠足を呼びかける。それぞれが様々な思いを抱える中でマラソンは始まったものの裏では大きな陰謀が渦巻いていた…。

『超高速!参勤交代』の原作・脚本で知られる土橋章宏による史実に基づいた5編の短編で構成されているのが原作小説『幕末まらそん侍』

最後の章でそれまで何事も起きていないかのように見せていた安政遠足に張り巡らされた伏線を一気に回収しカタルシスを生んだ原作小説をアクション映画としてスリリングになるようアレンジしたことでバイオレンスと豪快さが増し、さらには強力主要キャストはもちろんのこと門脇麦や阿部純子などが脇を固めたことにより、まるで頑丈な石垣で出来た屈強な城のような作品。ずしん!

佐々木蔵之介主演の『超高速!参覲交代』のような骨太な黒澤明的時代劇とはまた違った「誰もが楽しめてコミカルで軽めの時代劇」を連想したまま鑑賞してしまうと、 面食らってしまうほどのシリアスさはあるものの、東京オリンピックを前にマラソンの原点を描くという素敵な試み。

時代劇離れしている観客層にとっても「行って帰ってくる」というマッドマックス的ストーリーのシンプルさもあるため飲み込みやすい。

この時代劇に対してライトな層を巻き込みやすいという点は、作品の時代設定が【幕末】であり庶民派武士達が主人公というのも大きなポイント。

時代の分岐点に携わった坂本龍馬や新撰組、西郷隆盛などの志士が主人公の幕末時代劇ももちろん良いのだけれど、本作は安中藩にいる藩士たちが主人公。しかも、非常に庶民に近い人物達がマラソンに挑戦する。平和ボケをしてすっかり体の鈍った武士達が走るもんだから、すぐ息は切らすわゲロ吐くわでみっともないったらありゃしない。

武士と聞くと、忠誠心や武士道やら信念やらとアツいイメージが浮かびがちだが、本作の主人公たちは刀で世を渡る時代は終焉を迎え平和ボケしてしまったサムライたちなわけです。

戦はないと言えど、殿の命令は絶対であるがゆえにどんなに怠け切った身体であっても鞭打って走らなくてはいけない。この状況がなんとも言えない滑稽さを放っていて微笑ましい!

そんな親しみやすい設定の本作だが、このご時世に観たからなのか、映画を観ながらふと思ってしまったたわいもないことを綴らせていただきます。

太平の時代にマラソンをさせるというこの突飛なスパルタは現代でいうパワハラ。

しかし、当時。自分が仕える主君の命令は絶対で異論など唱えることなど論外。

マラソンの発祥を描きつつも、絶賛公開中の『七つの会議』で扱われている日本の会社組織の根本的な問題。その淵源的なことも本作は同時に描いているように見えて興味深い!

(本作の監督はイギリス人の監督であり、日本の社会状況の変化を我々と同じように肌で感じ映像化したとは考えにくい。封建的な制度が未だ根強かった幕府崩壊前を描いたことではからずもこの手の問題が浮き彫りになったんだと思う)

ペリーが日本に最初に持ち込んだのが酒や銃ではなく「コンプライアンス」という概念だったら、みんな走らずに済んだのかな…?とか現代と結びつけて考えながら鑑賞してしまった。(そもそもコンプライアンスやパワハラってこの言葉が当時からあった訳ではないと思うのでただの願望)

仕える君主の命令は絶対だし、逸脱した者は切腹というガチガチルールがあるからこそ時代劇は面白くなるわけで、本作もその理不尽さがコミカルに繋がっているのだが、それは同時に今の世の中を風刺することの役割も果たせているのかもしれない。

だらだら言って結局なんなんだよ。って感じだと思いますが、つまり時代劇は古いことを騙っているように見えて新しいことを描けるという最強のファンタジー的要素のある素晴らしいジャンルなのです!

だから、こういう視点を持ったいろんな時代劇が作られてブームになるといいな〜

 

2月1日公開!超新作映画『七つの会議』感想文 〜靴を脱がせない!原作を読んでビックリしたこととは…!?〜

ハリウッドに比べて日本映画はスピーディーに展開できない。なぜなら、靴を脱ぐからだ。

日本映画の巨匠・小津安二郎監督はそう悲嘆したらしい。

本作『七つの会議』の監督は次々と映像化される池井戸潤作品『半沢直樹』『下町ロケット』『陸王』の演出の長である福澤克雄!

これらの池井戸ドラマでは原作に登場する【巨大な組織に立ち向かうサラリーマン】の家庭が描写される。これはテレビドラマという性質上当たり前なのかもしれないが、このアプローチをすることにより登場人物たちは靴を脱ぐことになる。

原作『七つの会議』は7章の短編と書き加えらえた最終章、全8章の中で巨大な会社の中で生きる人物たちのやはり家庭が描かれているが、今回の映画化にあたりその描写は一切省かれた。

もちろん2時間という尺を考慮しての省略だったかもしれないが、これが功を奏しスピード感のあるクライムサスペンスに仕上がっている!

予告編を観る限り、キャストとスタッフという座組みからして

 

半沢直樹–堺雅人+野村萬斎=七つの会議

 

だろうな〜程度の印象だったのだが、本編を観ると先述した【靴を脱がさない】ことで予想を裏切る傑作に!あっぱれであります!

福澤監督の功名はこれだけではない!

試写会で本編をみさせて頂き、不幸になる社員の前に神出鬼没で現れ不気味な笑いをぶちかます喪黒福造ポジッションにつく主人公の野村萬斎、あらゆる顔筋肉を自由自在に操る顔芸炸裂の香川照之、ドーナッツを潰して捨て台詞を吐いて話してる途中でゼハハハハハ!と魔王のごとく笑う料理の鉄人・鹿賀丈史……などの役者によるおなじみの怪演。

さらには会社からのプレッシャーによる嘔吐シーン、椅子から転げ落ちるシーン、破いた書類を頭にふりかけるパワハラシーン……

脳裏から離れない強烈なシーンが連発されます。

こういった福澤節炸裂の演出によるわかりやすいかつやりすぎ!演技に「よっ!待ってました!」とニヤニヤが止まらなかった訳ですが、原作を読んでみると……

 

 

そういった描写は一切ない!!!

 

え…!!!

 

勉強不足で池井戸作品を初めて読みましたがこの衝撃たるや…。

つまり、緻密に構成された池井戸原作の個性を強め、アウトレイジに似た怒鳴りあう気持ち良さを演出しているのは福澤監督だったのです…!

さらに、原作ではあらゆる人が事の真相をそれぞれ知っていくという作りで、ミステリー要素が薄めなんですが、映画版ではミッチー演じるゲロ社員とドーナッツ女演じる朝倉あきを【何も知らない人物】に配置したことで、観客はこの2人と同じ体験できるようになっている!

スターウォーズで言う所のC-3POとR2-D2という庶民視点にあえて2人を落とし込んでるわけです!

観客の代わりにこの2人が事件の闇に入っていく…しかし、どうもできずにただただ見守るしかない。レイモンド・チャンドラーの探偵小説にあるノアール的な闇の深さも見事に演出されています。

真相が案外、早めに提示される原作をだいたんにアレンジし推理要素を濃くしているのです!

小説でも十分に面白い池井戸作品を福澤監督が映像用にアレンジしていく…なんと素敵な二人三脚。

「原作をまんま映像化すればいい」と忠実度を意識しすぎておかしなことになってしまう映画化が多い中でこのタッグは稀有じゃないですか?

池井戸ドラマ好きはもちろん必見ですし、今まで触れてこなかった方々、思い込みがある方はぜひ行っていただきたいこの冬公開の日本映画で今のところダントツおすすめの1本です。

新作映画『クリード 炎の宿敵』ガチ感想文 〜クリードの産声〜

予備知識でなく感情を積み上げていくロッキーシリーズ。

 

ソ連(現ロシア)の殺人マシーンと呼ばれたボクサー・ドラゴとの試合で死亡したアポロ。その息子が父の仇をうつ…と思っていたが…これはロッキーに負けたことで国と妻から捨てられたドラゴと、そのドラゴがボクシングの全てを教えた息子によるロッキーとその弟子への復讐劇。

超感じ悪い起こされ方(あの起こされ方、毎朝されたマジでストレス)でドラゴ父に朝起こされた息子は廃坑した町で父とともにつめた〜い修行を重ねている。そんな時にクリードは世界チャンピオンの座に。

怪しげなプロモーターによって早速、ドラゴの息子 VS アポロの息子の試合が組まれるのだが……

 

クリードの妻であるビアンカは前作で明かされた通り進行性の難聴。いつか聴こえなくなってしまう聴覚を持ちながら制限のある時間をめいいっぱい生き、夢である歌手の道をひたむきに進んでいる。

冒頭、アポロが世界チャンピオンになる試合。観客の盛り上がりを入場口から不安そうに見守るビアンカが、さりげなく補聴器をつけて「大丈夫。勝てる」とつぶやく場面。前作より難聴が進行している?ということを何気なく観客に予感させ(前作では混雑している場所では補聴器をつけるという説明がありつつ、ドア越しにクリードと話す時に補聴器をあえて外し彼を遠ざけるという演出もありました)それが伏線となってそのあとのプロポーズシーンは強烈な切ない展開をみせる。クリード自身は気づいていない彼女の難聴の進行度を観客だけに先にわからせるという巧みな演出だ。

生まれた娘に難聴の病気が遺伝していないかを検査する場面では、診断結果を見守る夫クリードと娘を抱きかかえるビアンカの間には防音のガラスが隔てられていて、相手側の音はお互い聞こえない。いずれ耳が聴こえなくなるという未来への不安を防音ガラスという視覚的に見える形で表現しつつ、遮断されてゆく2人の関係性が暗示されておりとてつもなく胸が締め付けられる場面。

 

 

このような演出がクリードの戦う理由を濃密なものにする。

ロッキーがエイドリアンに支えられたように、クリードにはビアンカがいる。

だが、このカップルの抱える葛藤は違ったものだ。

ロッキーは自分を「クズじゃない」ということを証明するためにリングに立ち、アポロの隠し子であったクリードは自分は「過ちじゃない」ということを証明するために戦ってきた。

しかし、ロッキーは下から這い上がってきた成金な訳で過去作で一瞬で家を失ったようにいつ足場が崩れるかわからない不安定な金銭状況でリングに立ち続けた。一方、クリードはアポロの妻に引き取られたためにロッキーとは違ってボンボンのおぼっちゃま。このエリートコンプレックスがクリードの抱える悩みでもあるのだが、ここに【限られた時間を生きる】ビアンカがいることで、クリードは親を超えるという目的とは別に戦う理由が生まれ始める。

この【戦う理由】を強めたのが先述した濃密な【心苦しくなる】演出だし、ここが薄かったら、クリードは負けたってなんとかなるっしょ!と観客はどうでもいい試合を見せられることになってしまう。

クリードは、守るべき【新たな命と時間に限りのある妻】のためにロッキーと共に環境の整っていない荒地で地獄のような(まるでドラゴ親子が行ってきたような)場所で修行をしなおす。

それまで「親の七光りとして見られたくない」という固執で戦ってきたクリードだったが、ドラゴに心を折られたことで生まれ変わらざるをえなくなる。試合に負けてすねたクリードがプールに潜水している場面は母体に宿った胎児という暗示だ。

ドラゴとの再戦で死闘を繰り広げダウンしかけたクリードにレフェリーは意識確認をする。

 

「君の名前は?」

「クリードだ!」

「君の名前は?」

「クリードだ!!」

 

伝説だった父から受け継いだこの名前を真正面から受け止めまるごと飲み込み自分のものにした瞬間だった。

だが、もうくだらない意地は捨てた。この名前は俺の名前だ。おれがおれの伝説を始める。

新たなクリードの産声に似た心の叫びを目にし、涙が止まらなくなった。

 

自分のための戦いには限りがあり負ける。彼には守るものができたのだ。

この魂の震えがドラゴ父にも伝わった。小さな理由に固執して戦っていたのはクリードだけではなかった。

過去にロッキーが試合を通じてドラゴ父を人間解放したように、クリードの戦う姿が彼を変えた。

ドラゴ父にも守るべき人がいたことに気付かされた。

 

この魂の連鎖を目にして心動かされない人はいない。

 

この試合はクリードにとって父の敵討ちではなかったのだ。

「これはおれの戦いだ。その戦いに勝った。」

戦いを終えたクリードは亡き父にそう告げた。

 

「鏡に向かってシャドウをしろ。ここにお前を睨みつけている手強い奴がいる。リングにあがる度にお前はこいつと戦う。人生も同じだ」

かつてロッキーは弟子クリードにこう語っていた。

 

ボクシングではなく人生を教えてくれるこの映画シリーズに改めて深く頭を下げたい。

新作映画『グリード 炎の宿敵』を観るその前に……

超新作映画『マスカレード・ホテル』感想文 〜叱られる木村拓哉さんと叱る長澤まさみさん、神出鬼没の文世さん〜

ミステリーは映画に向いていない。

意外に思われるかもしれませんが、サスペンスの神様であるヒッチコックはそう明言していてミステリーの映画化はそれなりの工夫をしないと成り立たないのが常で、本作『マスカレード・ホテル』はもうすでに発生している連続殺人を謎解いていく推理要素に加えて【次に起きる新たな殺人の阻止】というサスペンス【容疑者かもしれない多種多様な宿泊客の人間模様】という群像劇的要素2つの軸を用いることで観客を飽きさせない作りになっていてミステリー映画として素敵です。

昨年公開された原田眞人監督『検察側の罪人』で罪を犯してしまう悪者検察を演じ、ネクストレベルに到達したと言わしめた木村拓哉さんが次の殺人現場となるホテルにホテルマンとして潜入する頭キレキレ刑事・新田を。

原作の荒削りでやさぐれていながらも鋭い洞察力も兼ね備えているという絶妙なカリスマ感を体現できるのはキムタク意外に誰がいようか!?

※原作者の東野圭吾さん自身がキムタクのキャスティングを望んだようです。

敏腕ホテルマン・山岸を演じる長澤まさみさんに「第一ボタン、ネクタイもしっかり閉めて、髪も髭も整えて」とドS丸出しの指導をされて「うるせぇなぁ」を言いながらもしっかり言うこと聞いて、なんなら「ホテルマンって素敵な仕事だな〜」って心が変化してきているところなんてキャワイイ。ただのカリスマ性だけでなく、言われちゃう側が似合うようになってきたと、ある意味で新境地じゃん!って思ってるのは僕だけでしょうか?

そんなキムタクにビシバシ言えてしまうのも長澤まさみさんじゃなきゃ成立しないですよ!これは。美しさと芯の強さってのもあるけれど、良い意味で空気読めない浮いた感が僕は大好きです。『モテキ』の「しゅしゅしゅしゅしゅ〜!お先にドロンしま〜す!」って可愛さで誤魔化されてるけど、一歩間違えればさらし首ですよ!こんな行為!戦国時代じゃなくてよかった。ゾンビ邦画の傑作『アイ・アム・ア・ヒーロー』でも怖気付く大泉洋さんに無線で「助けろよぉおお」と吐く場面も独特のまさみ節発揮され映画のバランス関係なく異質なものが入ってきた感がありますよね!

長澤まさみさんってとっても非現実的存在で天使みたいな人でありながらもこの人なら何やっても許されるし映画として浮いててもこの人ならイイ!ってなる不思議な魅力があると思います。

だから、まるでターミネーター3の女アンドロイドのアイツのように表情を崩さずホテルのフロントを闊歩して、あらゆる事態に冷静に対処する姿を見てると…なんかこいつヤバそう!と存在に違和感を感じる勢いなんですけど、それがしっくりきます。

キムタクはキムタクでスターでありカリスマ・ヒーローであるから非現実的で、そこに対抗するにはまさみちゃんか岩下志麻さんしかいないんですね!

この2人のコンビ以外にもいろいろ役者さん大活躍されていて、あげればキリがないので1人だけ言うとやっぱり【かゆいところに手がとどく神出鬼没の小日向文世さん】です!

フラ〜っと現れて新田を助けるし、終盤の文世in名古屋には拍手喝采ですよ!よっっっ!!!!

「新田さんは助けたくなるような不思議な魅力がありますよ」って文世さん言うけど、いやいや!文世さん!あなたが一番不思議な魅力ありますから!と叫びたい。

 

で、本作はイイ意味でも悪い意味でも忠実に原作を再現していました。

同時に各所で話が進む原作を映像で見せるために整理してテンポよくみせるのはさすが鈴木雅之監督。ドラマの演出を経て大衆の心を掴み続けてきた監督の培ったスキルのおかげ。

原作に変に手を加えず(原作にあった刑事とホテルマンの疲労感と泥臭さは個人的には欲しかったですが…)変なアレンジしなかったことによって、テーマや本質を見失わず再現。たた小説の文章だから理解できるお客さんの【理解の領域】映像にした時の【理解の領域】はちょっと違うので、もう1工夫あったら助かった気もします。

冒頭で述べたヒッチコックの定義というのが、これでして。【すでに発生した事件を推理する】という行為を映像で見せるのってセリフや説明を用いた説明シーンになってしまう。だから話が止まるし地味だし、要は観客が一気に退屈になってしまうんですね。本作は、そこに工夫を十分こらしてるんですが……それでもキムタクがまさみちゃんにいろいろ説明する場面は…まぁ退屈……だし…頭こんがらがります。これは作り手が悪いとかじゃなくて、元来仕方ないことなのですね!

が…今年の映画初めとしてはかなりふさわしい豪華絢爛なストレスのないイイ面白さ!ぜひみんなでチラシを見て「誰犯人だろ〜?」なんて当てっこしながら劇場でワイワイしてください!

新作映画感想文『ゲヘナ』〜日本人監督・片桐裕司氏デビュー作!思い出せば出すほど嫌な気分になる呪い〜

1年くらい前にSNS上で話題になっていたハリウッドでキャラクター造形を手がける日本人・片桐裕司氏の初監督作品『ゲヘナ』の話題を目にした時、アップされていた細くて不気味なジジイの写真を観て、うぉおお観てぇ!!!と。そして、やっと日本公開!ありがとうございます!

上映中、前に座っていた感情移入しすぎおじさんが本編中に「おーう」「あーう」と唸ってくれてたおかげで怖すぎずに済みました。そちらもありがとうございます!いや…ありがとうなのか?むしろ最近の上映マナーを考えると怒るべき対象なのかもしれませんが、そんなことは遠くへほっぽりましょう!

ゲヘナ!

サイパンにリゾート施設作る気満々の奴らが下見をしに島を散策していると、洞窟を発見!

入り口で長老が祈ってて「祟りじゃ〜」とか言ってる金田一耕助バリのフラグからして絶対入っちゃいけないんだけど、会社で出世を狙っている土地開発会社の女社員ポリーナはなんとしてでもこのプロジェクトを進めたいから藤岡弘並みの勇気で洞窟へ突進!すると、そこには無数の死体とやせ細ったジジイが…!

ここからの展開は奇想天外なので内緒!

 

前半はサイパンの美しすぎる景色を引きまくりの俯瞰ショットなどを駆使しながら表現し、洞窟以降のシーンは徹底的に暗くて狭い世界を映すことで観客もいや〜な閉塞感を体感する仕掛けに。

いっこくも早くこんなところから出たい!と思わせつつもあえて洞窟内の図面を難解にし、登場人物達が今どの辺にいるのかを全く感じさせない迷宮演出も秀逸です。

先人たちが犯したこと。その上で生きている自分達の国民としての【侵略による罪悪感】迷い込んだ人物たちが抱える【過去の罪悪感】が重なり合っていき観客の持つ潜在的な恐怖を引き出しながらも、この呪いの行く末には単なる「死」が苦しみなのではないというキリスト教圏では考えづらい死生観がよく出ていて、日本人監督ならではのアイデンティティーが炸裂していると感じます。

鑑賞後、いろんな伏線を思い起こすと…嫌だなぁ…絶対に嫌だ。と尾を引くつくりに…。

映画終盤では、あまりの酷な呪いに感情移入しすぎおじさんも唸るのやめてました。たぶん今頃、あのおじさんは帰りの電車でゲヘナを思い出しながら、一人で「おーう」「あーう」って言ってると思う。それが一番怖いね。

新作映画『来る』感想文 ~原作にあったイヤ〜な部分を拡張させた【お祓いエンタテイメント】誕生!~

Jホラーと言われているジャンルにおいての貞子や伽倻子のホラー表現は「ありふれた日常に突如、非現実的存在が現れる!」ことが怖い!とされています。(もちろんこれだけじゃありませんが)

『リング』や『呪怨』さらにはJホラーをハリウッドまでのし上げたプロデューサー・一瀬隆重は自身の著書の中で『ウルトラQ』から上記で述べたような表現に影響を受けたと語ってました。

すっかり、Jホラーという言葉自体を聞かなくなった時に中島哲也監督が『来る』というホラーを撮るんだと!

ぼくはこの情報を観たときに「えっ!!??」と驚きました。

中島哲也監督は平凡な日常風景をエキセントリックに撮る人ですよね。物語は平凡でも撮り方を工夫したり、ライティングがファンタジックだったり、カットも短く切って工夫して観客を飽きさせない画作りをするというか。

これってつまり、最初に記したJホラーの表現方法とは真逆ですよね!

中島監督は日常を非現実的に描くから、非現実的な幽霊が出てきても際立たない。怖くない。だから、偉そうな言い方をしてしまうと、向いてないんじゃない?と。

それが気になって、原作を読ませていただくと、これは納得!

人間って表面上どうあれ、いや〜な部分たくさんある生き物だよね。という中島監督の作家性と同じようなテーマが原作「ぼぎわんが、来る」に内包されておりました。つまり、監督はホラーとしてではなく人間ドラマの方をやりたかったんだ!と、本作のパンフレットを確認すると、まさにそのようなことを監督がおっしゃっていました。

じゃあ、実際のところ映画版はどうだったのか?というと……これはホラーというより【お祓いエンタテイメント】でした!

誤解を恐れずにハッキリ言うと、従来のJホラー的怖さはありません。ここの部分に関しては、原作の時点でそうだったんですが主人公たちを襲う「それ」の攻撃は貞子や伽倻子のように呪い殺すという目に見えないものではなく、噛んだり、裂いたりと物理的な攻撃なんです。ちょっとしたモンスター映画とも言えるかもしれません。

そんな相手に対して人間が出来る技が【お祓い】です。

これは神主様を呼んで行う盛大なものに限らず、日常でも我々が使用する小規模なものも含んだ【お祓い】というか、ゲン担ぎというか、目には見え無いけれど無意識のうちに信じている言い伝えや習慣、それら様々なものを含んだ大きい意味でのお祓いです。

お守り、盛り塩といった我々一般人が使えるようなものもあれば、霊媒師姉妹による呪文、指輪、おまじない、儀式…と玄人による対抗手段もたくさん登場します。

これらを象徴するのは、クライマックスの原作にはなかったマンションを巻き込んだ大規模な儀式とお祓いです。ここまで規模デカくする必要ある?と笑っちゃうレベルなんですが、映画の根幹にあるテーマでもあるので仕方なし!

対処不能、理解不能、我々はひたすら怯えるだけだった貞子や伽倻子とは違って、本作の相手は戦うことが可能!

気持ちイイぜ!

ゆえに本作は【お祓い】というまくらのついた娯楽作品と言えます!

ゆえに、そこまで怖くはない!とは言いきりつつも……監督は原作にあったイヤ〜な部分を大拡張し、物語の「救い」「感動」を激減させ強烈な中島哲也味に仕上げています。

なので、幽霊は怖くなくても人間は恐ろしい…っていう、どっちにしろ怖い映画にはなっている!という結局なんなのかわからん締めくくり方をさせていただきます。