2月1日公開!超新作映画『七つの会議』感想文 〜靴を脱がせない!原作を読んでビックリしたこととは…!?〜

ハリウッドに比べて日本映画はスピーディーに展開できない。なぜなら、靴を脱ぐからだ。

日本映画の巨匠・小津安二郎監督はそう悲嘆したらしい。

本作『七つの会議』の監督は次々と映像化される池井戸潤作品『半沢直樹』『下町ロケット』『陸王』の演出の長である福澤克雄!

これらの池井戸ドラマでは原作に登場する【巨大な組織に立ち向かうサラリーマン】の家庭が描写される。これはテレビドラマという性質上当たり前なのかもしれないが、このアプローチをすることにより登場人物たちは靴を脱ぐことになる。

原作『七つの会議』は7章の短編と書き加えらえた最終章、全8章の中で巨大な会社の中で生きる人物たちのやはり家庭が描かれているが、今回の映画化にあたりその描写は一切省かれた。

もちろん2時間という尺を考慮しての省略だったかもしれないが、これが功を奏しスピード感のあるクライムサスペンスに仕上がっている!

予告編を観る限り、キャストとスタッフという座組みからして

 

半沢直樹–堺雅人+野村萬斎=七つの会議

 

だろうな〜程度の印象だったのだが、本編を観ると先述した【靴を脱がさない】ことで予想を裏切る傑作に!あっぱれであります!

福澤監督の功名はこれだけではない!

試写会で本編をみさせて頂き、不幸になる社員の前に神出鬼没で現れ不気味な笑いをぶちかます喪黒福造ポジッションにつく主人公の野村萬斎、あらゆる顔筋肉を自由自在に操る顔芸炸裂の香川照之、ドーナッツを潰して捨て台詞を吐いて話してる途中でゼハハハハハ!と魔王のごとく笑う料理の鉄人・鹿賀丈史……などの役者によるおなじみの怪演。

さらには会社からのプレッシャーによる嘔吐シーン、椅子から転げ落ちるシーン、破いた書類を頭にふりかけるパワハラシーン……

脳裏から離れない強烈なシーンが連発されます。

こういった福澤節炸裂の演出によるわかりやすいかつやりすぎ!演技に「よっ!待ってました!」とニヤニヤが止まらなかった訳ですが、原作を読んでみると……

 

 

そういった描写は一切ない!!!

 

え…!!!

 

勉強不足で池井戸作品を初めて読みましたがこの衝撃たるや…。

つまり、緻密に構成された池井戸原作の個性を強め、アウトレイジに似た怒鳴りあう気持ち良さを演出しているのは福澤監督だったのです…!

さらに、原作ではあらゆる人が事の真相をそれぞれ知っていくという作りで、ミステリー要素が薄めなんですが、映画版ではミッチー演じるゲロ社員とドーナッツ女演じる朝倉あきを【何も知らない人物】に配置したことで、観客はこの2人と同じ体験できるようになっている!

スターウォーズで言う所のC-3POとR2-D2という庶民視点にあえて2人を落とし込んでるわけです!

観客の代わりにこの2人が事件の闇に入っていく…しかし、どうもできずにただただ見守るしかない。レイモンド・チャンドラーの探偵小説にあるノアール的な闇の深さも見事に演出されています。

真相が案外、早めに提示される原作をだいたんにアレンジし推理要素を濃くしているのです!

小説でも十分に面白い池井戸作品を福澤監督が映像用にアレンジしていく…なんと素敵な二人三脚。

「原作をまんま映像化すればいい」と忠実度を意識しすぎておかしなことになってしまう映画化が多い中でこのタッグは稀有じゃないですか?

池井戸ドラマ好きはもちろん必見ですし、今まで触れてこなかった方々、思い込みがある方はぜひ行っていただきたいこの冬公開の日本映画で今のところダントツおすすめの1本です。

新作映画『クリード 炎の宿敵』ガチ感想文 〜クリードの産声〜

予備知識でなく感情を積み上げていくロッキーシリーズ。

 

ソ連(現ロシア)の殺人マシーンと呼ばれたボクサー・ドラゴとの試合で死亡したアポロ。その息子が父の仇をうつ…と思っていたが…これはロッキーに負けたことで国と妻から捨てられたドラゴと、そのドラゴがボクシングの全てを教えた息子によるロッキーとその弟子への復讐劇。

超感じ悪い起こされ方(あの起こされ方、毎朝されたマジでストレス)でドラゴ父に朝起こされた息子は廃坑した町で父とともにつめた〜い修行を重ねている。そんな時にクリードは世界チャンピオンの座に。

怪しげなプロモーターによって早速、ドラゴの息子 VS アポロの息子の試合が組まれるのだが……

 

クリードの妻であるビアンカは前作で明かされた通り進行性の難聴。いつか聴こえなくなってしまう聴覚を持ちながら制限のある時間をめいいっぱい生き、夢である歌手の道をひたむきに進んでいる。

冒頭、アポロが世界チャンピオンになる試合。観客の盛り上がりを入場口から不安そうに見守るビアンカが、さりげなく補聴器をつけて「大丈夫。勝てる」とつぶやく場面。前作より難聴が進行している?ということを何気なく観客に予感させ(前作では混雑している場所では補聴器をつけるという説明がありつつ、ドア越しにクリードと話す時に補聴器をあえて外し彼を遠ざけるという演出もありました)それが伏線となってそのあとのプロポーズシーンは強烈な切ない展開をみせる。クリード自身は気づいていない彼女の難聴の進行度を観客だけに先にわからせるという巧みな演出だ。

生まれた娘に難聴の病気が遺伝していないかを検査する場面では、診断結果を見守る夫クリードと娘を抱きかかえるビアンカの間には防音のガラスが隔てられていて、相手側の音はお互い聞こえない。いずれ耳が聴こえなくなるという未来への不安を防音ガラスという視覚的に見える形で表現しつつ、遮断されてゆく2人の関係性が暗示されておりとてつもなく胸が締め付けられる場面。

 

 

このような演出がクリードの戦う理由を濃密なものにする。

ロッキーがエイドリアンに支えられたように、クリードにはビアンカがいる。

だが、このカップルの抱える葛藤は違ったものだ。

ロッキーは自分を「クズじゃない」ということを証明するためにリングに立ち、アポロの隠し子であったクリードは自分は「過ちじゃない」ということを証明するために戦ってきた。

しかし、ロッキーは下から這い上がってきた成金な訳で過去作で一瞬で家を失ったようにいつ足場が崩れるかわからない不安定な金銭状況でリングに立ち続けた。一方、クリードはアポロの妻に引き取られたためにロッキーとは違ってボンボンのおぼっちゃま。このエリートコンプレックスがクリードの抱える悩みでもあるのだが、ここに【限られた時間を生きる】ビアンカがいることで、クリードは親を超えるという目的とは別に戦う理由が生まれ始める。

この【戦う理由】を強めたのが先述した濃密な【心苦しくなる】演出だし、ここが薄かったら、クリードは負けたってなんとかなるっしょ!と観客はどうでもいい試合を見せられることになってしまう。

クリードは、守るべき【新たな命と時間に限りのある妻】のためにロッキーと共に環境の整っていない荒地で地獄のような(まるでドラゴ親子が行ってきたような)場所で修行をしなおす。

それまで「親の七光りとして見られたくない」という固執で戦ってきたクリードだったが、ドラゴに心を折られたことで生まれ変わらざるをえなくなる。試合に負けてすねたクリードがプールに潜水している場面は母体に宿った胎児という暗示だ。

ドラゴとの再戦で死闘を繰り広げダウンしかけたクリードにレフェリーは意識確認をする。

 

「君の名前は?」

「クリードだ!」

「君の名前は?」

「クリードだ!!」

 

伝説だった父から受け継いだこの名前を真正面から受け止めまるごと飲み込み自分のものにした瞬間だった。

だが、もうくだらない意地は捨てた。この名前は俺の名前だ。おれがおれの伝説を始める。

新たなクリードの産声に似た心の叫びを目にし、涙が止まらなくなった。

 

自分のための戦いには限りがあり負ける。彼には守るものができたのだ。

この魂の震えがドラゴ父にも伝わった。小さな理由に固執して戦っていたのはクリードだけではなかった。

過去にロッキーが試合を通じてドラゴ父を人間解放したように、クリードの戦う姿が彼を変えた。

ドラゴ父にも守るべき人がいたことに気付かされた。

 

この魂の連鎖を目にして心動かされない人はいない。

 

この試合はクリードにとって父の敵討ちではなかったのだ。

「これはおれの戦いだ。その戦いに勝った。」

戦いを終えたクリードは亡き父にそう告げた。

 

「鏡に向かってシャドウをしろ。ここにお前を睨みつけている手強い奴がいる。リングにあがる度にお前はこいつと戦う。人生も同じだ」

かつてロッキーは弟子クリードにこう語っていた。

 

ボクシングではなく人生を教えてくれるこの映画シリーズに改めて深く頭を下げたい。

新作映画『グリード 炎の宿敵』を観るその前に……