新作映画『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』感想文 〜不秩序な世界に発せられた父の言葉に涙!〜

桐島、部活やめるってよ。というタイトルを聞き、で?だから?と思ってしまったように、今回の映画『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』のストーリー「学生がカンニングしたってよ」を聞いても、…それで?だからなんなの?となってしまうのは事実だし、青春映画においてはこのような【罠】が多い。

たしかに、6つの石を集めて世界を滅亡させようとする宇宙人を阻止しようとするヒーロー達や、プルトニウムを悪用しようとするテロリストを身体を張って止めようとするスパイが活躍するような娯楽映画を観ていて、それらが作品を楽しむ基準に自然となってしまっていたら、カンニングという行為などとーっても小さいアクションだし、そもそもそれは映画になるのかよ⁉︎と懐疑的になってしまうのも無理はない。

が……

現実的な生死を体感していない青春時代を生き抜く若者には彼らなりの問題があるわけで、彼らの視点からしたらカンニングの成功、失敗は生きるか、死ぬか?という問題とほぼイコールで結ばれる!

カンニングというか、そもそも試験という文化から遠のいてしまった私たちにとっても、本作のカンニングという名のミッションは手に汗握る一流サスペンスとして描かれている。

「答えを記入した消しゴムを後ろの席の人に渡す」

序盤に登場するこれだけの動作で心臓バックバク!もちろんカット割りや音楽などのテクニックを用いた手法によって生まれた緊迫感ではあるものの、このシークエンスの前に【主人公にとっていかに試験が学歴が重要で人生に関わるか】をみっちり描いてるからこそ!

何よりクライマックスの畳み掛けは生きた心地がしない!

白人の試験官に追い回される様は、あれ?今ターミネーター観てるんだっけ?と錯覚に襲われるほど。

一度、ダークサイドの堕ちてしまった友人を憐れむ主人公との対峙も切ない名場面の1つ。

学歴主義の社会を若者という【弱者】が必死に生き抜いてるからこそ、カンニングという不正が悪いことだとはわかっているけど、致し方ない事なのか…?と。何が幸せで何が不幸なのか?わからない不秩序な状態で主人公の父が発したラストの台詞に気づけば涙が……。

競争!競争!学歴!学歴!と殺伐としていた世界に親の真心がふと表れる瞬間があるとてつもなくイイ映画、それが『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』です。

 

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