読んだら必ず観たくなる

【半魚人と声の出ない女性清掃員の恋】という企画にどこの会社もお金を出してくれず、自腹を切って映画を制作し世に送り出した誇り高きオタク監督ギレルモ・デル・トロの大傑作『シェイプ・オブ・ウォーター』

直訳すれば「水の形状」となるわけだが、この映画の主人公は水である。

まるで海に潜ったかのような本作のチラシのようなカットから映画はスタートする。

水に沈んだ部屋に、かすかに光が差し込んでいる。水中に浮かんでいた家具たちが下へ下へとゆっくり沈んでいき、ソファの上には横になったイライザが沈み落ちる。

目覚まし時計がなりイライザは起床、そこから現実の生活がスタートする。

幻想と現実の間にある細い線を観客に歩かせるような作品を撮ってきたデル・トロによる最高のオープニングだ。

そこからイライザは半魚人に出会い恋に落ちるわけだが、さすがのデル・トロで、2人の世界だけで物語を進めたりはしない。

イライザの同僚であるハリウッドで今や最強のバイプレイヤーであるオクタビア・スペンサー演じる清掃員の同僚は黒人で映画の舞台である1962年では人種隔離されていたし、隣人のおじさんはゲイで青年に恋をするが、中盤にその青年がレイシストだったことがわかるという悲劇が待っている。

ヒロインのイライザは幼児期に声帯を失い声が出せず手話で会話をする。半魚人はアマゾンで神と崇められていたが、冷戦相手のソ連に勝ちたいアメリカによって実験用に研究施設へ連れてこられてしまう。

彼らは誰も声をあげれず、権力と暴力でモノ言わす白人の無骨派男によって抑えつけられている。

そう。これは人々から虐げられてきた圧倒的マイノリティーの人たちの物語でもある。

そんな彼らを代表するようにイライザが声を手に入れ白黒ミュージカルの世界に半魚人と共に飛び込み熱唱する【空想シーン】は涙を流さずにはいられない。ここは【叶わない願望を成就させる脳内の映像化】という意味で『ラ・ラ・ランド』を彷彿とさせるが、今までずっと奪われた声をヒロインが取り戻すという演出がカタルシスを生んでいることによって何枚もうわてである。

監督は映画雑誌『映画秘宝』のインタビューで

「僕は『美女と野獣』が好きじゃないんだ。人は外見じゃないというテーマなのに、なんでヒロインは美しい処女なんだ?なんで野獣はハンサムな王子になるんだ?」

という拍手を送りたくなるコメントをしているが、この2人の関係に余計な【美化】は存在しない。

イライザは出勤前に必ず自慰行為をするし、半魚人とSEXもする。半魚人は猫を食うし人も殺す。それが本能だから。

2人のごく自然でありのままの姿をしっかりと描いてくれているこういったラブロマンスは商業映画が簡単に真似できることではない。

そう考えると、トロ監督が自腹を切って自由に制作できた事実は大きい。

ラストでこの2人が水中に入り、ある展開を迎えて幕を下ろす。

この場面もまるで観客を水中に放り込んだようなカットだ。

つまり本作は水の中から始まり、全く同じような水の中で終わりを迎える。

モナリザの絵を左右の横に並べたら永遠に続くように、本作も2度連続して観れば、永遠に終わらないループになっていることに気がつく。

デル・トロが繰り返し描いてきた【現実に生きている私たちが幻想の世界に飛び込む】というテーマに今回は永遠性が加わった。

言葉を持たないプリンセスと半魚人の彼は共に、映画と私たちの記憶の中で生き続ける。

そう。永遠に。

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