新作映画『スターウォーズ 最後のジェダイ』感想文 〜銀河一のメンヘラ家族・スカイウォーカー家の物語の行く末は…⁉︎〜

『スターウォーズ』とは一体なにか。

物語?キャラクター?メカニック?音楽?世界観?私たちは何に心を奪われているのか。

 

「アナキンが死んだことでもうスターウォーズ(以下、SW)は終わった。」

と原案者ジョージ・ルーカスがかつて明言したものの、ルーカス・フィルムをディズニーに売却したことにより新しくスタートしたEP7、8、9と続く新3部作。

創造主であるジョージ・ルーカスが作っていないスターウォーズを楽しんでいる私たちは一体なにに熱狂しているのか?

そんなことを考えながらも2年前に公開された『フォースの覚醒』は往年のファンが「これがおれの求めていたスターウォーズだ!」とギンギンになる劇薬作品。

かつてなかった新表現はあるものの、旧三部作を彷彿とさせるサービスの連打!これもでか!これでもか!と感覚を麻痺らせてくる!

 

サイコーーーーー!そう!これがスターウォーズだ!!!

 

だけど、この感覚は既視感安心感からくる単なるノスタルジーなのではないか……?

ALWAYS 三丁目のなんちゃら的なこと…?

ルーカスが生み出した玩具を使ってSWオタクである製作陣が「似たもの」を作っているだけなんじゃないか…?

私が見ているこの映画は…なんだ?

 

冷静になると、そんな疑問が胸に残る。

(もちろん、筆者はそんな理屈抜きで涙を流しながら「ありがとうございます!!!」とお辞儀をしたい気分でございます)

ここ重要

 

そんな複雑な思いを抱えながらもEP8『最後のジェダイ』の前情報、ネットで飛び交う噂、予告編が出る度に、いちいち騒いできゃっきゃっきゃっきゃしていたこの二年間。

嗚呼、二年間。

 

「あいつはあいつの娘なんじゃないか?」

「実はこいつがジェダイなんじゃないか?」

「あいつは生き返るんじゃないか?」

「今までのシリーズを踏まえると、こうなるのがセオリーだね〜」なんていう生意気な意見を交換しながら迎えた12/14の最速上映会。

 

 

さて、どんな映画だったか?

 

 

監督のライアン・ジョンソンにフォースで首を締められながら…

ライアン「お前たちオタクが思うようなスターウォーズはもう終わった。これからは俺が新しいSF映画を作る」

私たち 「ぐ…ぐはっ〜……!……仰せのままに…」

 

 

みたいな!そんな映画!!!

 

ん?おれたちのスターウォーズが汚された?

 

Nooooooooo!!!

 

今までのものいったんぶち壊して新しいことやってくれているんだ!

 

 

本作において既視感なんてない。安心感なんてない。

全てが新しい展開、ビジュアル、世界観の連続で、手汗がびーっしょびしょ!全く予想ができなかった!

直前で考えてた常識範囲内の予想は全てひっくり返ってしまった。何1つオタク心の思い通りにはならない。

「え…?これは一体…?」と常に戸惑う!パニクる!テンパる!

2時間半を超える尺は気ならず、

お、お願い!もっと…もっと…観せて〜〜〜!!!

き、気持ちいぃぃいいいい!

もしかして、この感覚は1980年代にSWをリアルタイムで観てた観客と近い感覚なのか……?

 

もっとファンに寄せた作りにもできたはずが、それはせずルーカスが作ったセオリーを無視して壊して再構築させたのが今回の『最後のジェダイ』です!

 

 

ここから若干のネタバレになってしまいますが…

 

SWシリーズの根本的なテーマさえも変革しているのが本作のポイント。

これまでの6作はつまるところ「スカイウォーカー家という超つえぇお家柄があってその血を引く者の争い」だったわけで。いわばメンヘラ一族同士のどつき合い。

天才が世界を動かす話であり、我々庶民には関係のない話だった。

これだけSW好きにしろネックだったのはその点。だからこそ、名もなき者が世界を救うために戦う『ローグワン』がぐっとくるものがあったのだ。

幼少時にスターウォーズを経て映画監督になった人たちは自分の作品でSWに対しての別のアンサーを出しているように思える。

『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』でジェームズ・ガンは「もう1つのSW」を生み出したと言われているが、このシリーズの2作目において、SWがやってきた血統主義とは違う解答をしてくれている。

SWのテーマを意識して作ったと明言しているマシュー・ボーン監督『キングスマン』は階級社会のイギリスを舞台に「マナーが紳士を作る」という決め台詞からわかる通り「人は生まれではない。環境でもなく、自分の努力次第」をテーマにしている。

 

誰の血を引くかは重要ではない。

 

と。

そして、今回スターウォーズという血統主義王道作品の中でライアン監督はそういった【別アンサー】を叫んでくれているし、今回のラストカットからもわかる通り

「これは特別な誰かの話ではない。誰でもない君の話だ!」

という着地をしてくれてる。

また、そこで素晴らしいのが今までの「伝説」を決して否定していないところ。

例の最後のシークエンスで、名もなき少年たちはルークたちの物語を伝説を「希望」にし生きていることがわかる。

ヨーダ、オビワン、ルークたち…かつてのジェダイがやってきたことに意味はあった。

「銀河に伝説は必要よ」という台詞がある通り、私たち民衆は戦う糧となるルークたちのような【伝説】が必要なのだ。

名もなき娘レイがそうして孤独の中を生き抜いてきたように。

 

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