新作映画『ベイビー・ドライバー』〜「遮断」と「逃避」を続ける主人公のカーチェイス ミュージカル映画〜

イギリス出身の映画監督エドガー・ライトはハリウッド映画への愛をふんだんにぶち込みながら【大人になりきれない大人たちが危機に直面し立ち向かう映画】をコミカルに描いてきた。

そんなライト監督がいよいよハリウッドの大商業映画を牽引するディズニー傘下となったMCUの新作『アントマン』の脚本、監督に抜擢されたと聞いて喜んだのもつかの間、ライトはどうやら大人たちともめたらしく監督を降板。完成した『アントマン』を観ると、大人になりきれない落ちこぼれた男が主人公だったり、とある編集がライトの『ショーン・オブ・ザ・デッド』と全く同じだったり、全体にコミカルな雰囲気が漂ってたりと…ライトの作家性がちらほら見える作品となっていた。

降ろされたライトは長年、ずっとあたためていた「音楽とカーチェイス」の映画に着手し、最近では珍しい原作なしの完全オリジナル映画をこの度ようやくお披露目し、アメリカでは大ヒット。

『ベイビー・ドライバー』

宣伝でも謳われている通り、カーチェイスのミュージカル映画のような作品である。

主人公のベイビーは幼いころに両親を失った交通事故の後遺症で耳鳴りが止まない。その症状を抑えるためにiPodのイヤホンを常に耳に当て、お気に入りの音楽を聴いている。職業はドライバー。銀行強盗などの犯罪者を無事に帰す逃がし屋専門である。音楽をかけることで、その天才的ドライバーテクニックは発揮される。

映画は彼が耳元で流す音楽に包まれている。

札束を揃える音、銃声、乾杯、相槌、コインランドリーの乾燥機……登場人物の所作と音楽が完全にマッチしていく。もちろんカット割りも音楽に合わせているのだが、ほとんどが1ショット。考えただけで気の遠くなるような複雑な演出の執念に脱帽させられる。

ちなみに、下の動画はエドガー・ライトが2002年に監督したミュージックビデオで、この演出方法が本作の発想の元。この時から音楽とカーチェイスの融合を考えていたという。

本作の冒頭はこのMVと全く同じようなシークエンスでスタートする。

※ちなみにこのMVに旧友ニック・フロストが強盗役で出演している。

 

主人公ベイビーは運転以外でもイヤホンを耳にし音楽を流しながら生活している。先述した通り、もちろん身体的な後遺症である耳鳴りを防ぐためでもあるが、それと同時に彼は外の人間と自分を完全に【遮断】している。これは汚れた仕事はなるべく避けたいと願っている彼の一種の防衛本能であり、仕事場でも寡黙で最低限の事しか話さないし、他人を傷つけることも避けている。

と、同時に本編でも出てくるが音楽を聴き続けるという行為は【現実からの逃避でもある。

彼は日頃の生活音やあらゆる人の発言をテープレコーダーで録音し、家でリミックスして音楽に昇華させテープに録音するというだいぶ変態気質な趣味の持ち主である。日常の現実の音を自分なりの「音楽」に変換する逃避とも言えよう。みずから現実世界を音楽で彩ることでトラウマから自分を遠ざけ、なんとか生きようとしているのだ。

そんな彼のリミックステープの中に「Mom」つまり「母」と書かれているの1本。これは回想シーンから読み取れるのだが、どうやら事故で亡くなった母は歌手だったらしく、このテープにはその母の歌が入っているようだ。

その「Momテープ」を手にし、再生しようとするができない主人公が描写されるし、両親との事故シーンがフラッシュバックする場面もある。

また、彼がなぜドライバーの仕事を選んだのかハッキリとは語られないが、おそらく自分の両親を殺した死の象徴である車を自在に操ることによって死を克服したかったに違いない。

つまり、彼は「両親が死んだ」という事実を避け、音楽で現実世界を彩り、天才的な運転技術によって精神的にも物理的にも「逃避」を図っているのだ。

本作の根本的テーマは冒頭で記した【大人になりきれない大人たちが危機に瀕し立ち向かう映画】という彼の作家性と完全に一致する。

ここで重要なのは【逃避】という行為をライトは否定していないということだ。辛い事が大半のこの人生を彩るカルチャーへの賛歌であり、そもそも映画を観るという行為そのものが【フィクションへの逃避】であるから。

こういったテーマは近年で言えば『ラ・ラ・ランド』や『シング・ストリート』でも同一のテーマを扱っていたと言ってよい。

文化というフィルターを通じて、自分の見たい世界を見て何が悪い。

それがエドガー・ライトの一貫した主張であると同時に、その逃避の限界、その先にあるモノを今回の『ベイビー・ドライバー』で描いてくれている。

外の世界を遮断するベイビーだったがそんな都合のよいことは続かない。ちょっとした綻びからその壁は崩壊していき、自分の愛する人までも危険に晒すことになる。

そして、クライマックスのある場面で主人公の逃避は強制的に終了させられ、ある曲をある方法で身体で聴く事となる。

あれだけ映画内で音楽を流しっぱなしにしていたのに、ラストはそこをあえてやらずにぐるりと反転させる演出力に唸らされるし、主人公がしていたある人物との共同生活を思い浮かんだ瞬間に目頭が熱くなった。

外との遮断のために主人公は物理的に耳で音楽を聴き続けてきたが、ラストは心で音楽を聴く事が出来たのだ。それは長年、地獄が続いた彼のやすらぎへの入り口を意味する。

 

 

新作映画『ザ・マミー 呪われた砂漠の王女』感想文 〜トム・クルーズを奪い合うアドベンチャー映画〜

今はもう人妻となってしまいましたが、平愛梨ちゃんの顔好きでとってもタイプでして、ソフィア・ブテラっていう女優さんがいまして、『キングスマン』で義足の敵キャラやってた方で【濃い平愛梨】みたいな顔してるんですよ。

本作の『ザ・マミー 呪われた砂漠の王女』ではこのブテラちゃんがトム・クルーズを追うミイラの役って言うから心騒ぎました。

エロい女ミイラに追われるってたまらないし、追われるのはトム・クルーズです。追いたくなるくらいハンサムだし逃げる運動神経は抜群だろうし、追う側としても追う甲斐があるじゃないですか。

そう思って劇場で鑑賞しましたけど、期待はそれ以上でもう1人の女とミイラのプテラちゃんがトムを奪い合う三角関係アドベンチャーアクションだったんですよ!

トムは贅沢ですよね〜。美女2人から追われるんですからね!

今回のトムはインディ・ジョーンズ的なアドベンチャー野郎なんですけど、手グセが非常に悪くそれが原因となってむちゃくちゃ恐ろしい女ミイラを蘇らせてしまい追われるハメになるんですね。

どうやら、この女ミイラがトムの胸をある剣で突き刺すと2人で仲良く世界を乗っ取る力を得ることが出来るらしい。そのために執拗に追い回し、トム自身も呪われてしまっているのでいちいち操られたりして女ミイラに誘われます。

「そうはいかないわ!」ってことでヒロインも奪われんと頑張る三角関係

たとえ相手はミイラでもエロいミイラって良いなって思ってましたけど、思った以上に灰色だし肌すげぇ乾燥してそうで…若干萎えてしまいました。思い切ってもっとエロさを出すミイラにしてもいいんじゃないかって思いましたね。キャスティングもスカーレット・ヨハンソンとかジェニファー・ローレンスとかにしてムチムチで妖艶なミイラ女!ただ、それだと誘惑に打ち勝てなくなっちゃうって考えたらブテラちゃんのキャスティングっていうバランスは抜群です。

これだけかと思ったら【ジキルとハイド】でおなじみのジキル博士(ラッセル・クロウ)が率いる謎の組織まで介入してきて、トムを追う三つ巴。

ミイラ女が人間から生命力を吸い取って肉体が蘇生ていくグラフィックや、ヨタヨタ歩くアンデッドの描写もトムの体の張りっぷりも素晴らしくサービス精神に溢れた映画らしいアドベンチャー作品。

ただ、後半へ向かうほど【この映画の中でのルール】【登場人物たちの立ち位置と目的】が曖昧になってきてしまってるのは痛い。

ミイラ女が剣でトムを刺したがってるのはわかるんですが、それを成し遂げると具体的にどうなるかがわからないし、その宝石を破壊すると何がどうなるのか…。そもそもラッセル・クロウの組織が具体的に何をしてるのかがよくわからなかったり…映画が進めば進むほど、逆にディティールにモヤがかかっていくんです。本当は晴れていかなきゃいけないんですけども……。

つまり、お客さんからすると映画内の彼らが「今」「なんのために」「何を」「どうしたいのか」がわからない。不鮮明なゴールに向かう映画ほど退屈に感じてしまうものはありません。

もうこれはトム・クルーズ力で何とか保ててる映画でございます。先述した通り【世界で1番追い甲斐のあるスター】でしょ!トムじゃなきゃ成立しないアイドル映画でした!

細かいところを気にせず、全体的にコメディタッチで観やすい夏らしいアドベンチャー映画としては傑作なので、ぜひ。

新作映画『東京喰種 トーキョーグール』感想文 〜蒼井優になら食べられてもいいと思いました〜

この時期は怪盗グルーもやってるし、君の膵臓を食べたいっていう映画も絶賛上映中だから…

 

「グール観た?」「ミニオンの?かわいいよね」「いや、違くて…」

「グール観た?あの、人肉食べるやつの…」「いや、『君の膵臓を食べたい』はそういう映画じゃないから!」

 

というややこしいやりとりが各地でされていると憶測している今日この頃、本作『東京喰種 トーキョーグール』を鑑賞。原作ファンの知り合いからすると、もちろん人にはよるが、割と合格点らしく、第1巻しか読んでなかったが『暗黒女子』で清水富美加を観て「引退がもったいない…」と心の底から思っていた筆者は劇場へと駆け込みました。

人を食い腹を満たす種族 「喰種」(グール)がはびこる東京。ニュースではグールによって被害が出ていることが連日、報道されている。

主人公カネキは蒼井優に一目惚れして念願のデートを勝ち取るが、なんだかこの子…やけに積極的で…なんだか……

 

 

 

 

 

 

と思っていたら、人間の世界に紛れ込むグールーだった!!

 

やばい!食べられちゃう!

 

蒼井優になら食べられていいかも…と思ったんだけど、顔つきが変わって変身した時の姿を見て後悔……。主人公、絶対絶命!と思ったその時に鉄骨が落ちてきて二人とも下敷きに。搬送された病院で蒼井優の内臓を移植されたカネキは半喰種となってしまった!人肉しか食べれなくなったカネキはグールと人間の間で葛藤しながらも、グールを駆逐しようとする人間たちに対抗していく…。

カネキ君はハンバーグ吐いちゃったり、友達を食べようとしちゃったりと大変で自分の中にあるグールの存在を拒否しようとするんですけど、その度に幻覚として蒼井優が現れ誘われて、そこがすげぇ怖えし爆裂的存在感!蒼井優キャスティングはナイスです!なんというか、体の中から支配されている感がすごいんですね。

 

最初「怖い!グールー!」って思うわけです。人を襲って食うなんてけしからん!って、だけど次の瞬間にハンバーグを食う人間の口元がアップで映ったり、人が飯食ってる時の口の音ボリュームが意図的に大きくなってて耳に残るようになってる。

 

「くちゃくちゃくちゃ」

 

うるさいの。

あれ?人間も生きるために何かしらを殺めて飯を食う…これってグールーと変わらないじゃん。って気付かされるんですよね。

やけに芝居かかった大泉洋がグールを駆逐しようとしてるんですけど、そういうことも相まってグールー側に感情移入していく。

そうか、彼らはただ生きるために人肉を食しているだけなんだ。つまり、これ善悪の話ではないんですね。ポスターにもあるけど「守るために闘う」話です。

こういう観客の気持ちを誘導する演出はナチュラルで非常に上手いと感じました。退屈になりかねない会話シーンもただの会話でなく、主人公の心境を表現する演出として消化してたりと非常に観やすかったです。

ただ戦闘シーンになって、グールーたちの触手的なやつでCG多様するようになったところはやっぱりちょっとゲンナリしてしまいます。『シン・ゴジラ』の最初で尻尾だけが海上から出現した時の不安な気持ちがフラッシュバックしました。

冒頭の蒼井優場面が夜で影とかをうまく使ってあの触手の恐ろしさを表現してて、主人公の顔に触手の影がかぶるところなんていいカット!そういう間接的な描写を増やせばもっとうまくいったと思うんですけど、なんせ原作が少年漫画だしクライマックスの戦闘くらい触手おっぴろげなシークエンスはやらなきゃいけなくなりますから仕方ないですね。

だから、その分ですね、カネキくん演じる窪田正孝と清水富美加の修行シーンは生身でしっかりやってるからあがりましたねぇ!スタントマンもいるでしょうが、身のこなしようが大変に良かった。戦闘シーンでCG多様があるぶんああいうマジのシーンはグッと光りますね!

その訓練後に、クライマックスの決闘シーンに突入するんですが、あの訓練があったゆえにできた技とか戦い方とかが反映されてないのは痛い。戦いに勝つロジックがないんです。やみくもに戦って勝ちました〜って。邦画のアクション映画ってそういうの多いです。清水富美加あんなに強かったんだから、もうちょっと見せ場欲しかったですね。

とはいえ、演出が冴えていたところがけっこうあって、冒頭で【人間】カネキの瞳から始まってラストカットは【半喰種】カネキの瞳で終わる。という粋なつながり演出もイイなと。

 

そして、何より清水富美加の存在感。

『暗黒女子』で親友の肉を鍋に入れて闇鍋するという所業の後に人肉を食う役柄。映画内で人肉食う場面はほぼないんですが、この役の汚い言葉遣いに慣れず嫌になって引退にいたったとか…。まぁ、もったいない。

彼女の役みたいないかにもアニメ向きのキャラって一歩違えたらノイズになるんですけど、清水富美加の説得力は凄まじい。スッと飲み込めるんですね。

「平和」と逆の世界を描くことがエンタテイメントとして成立するということは重要なことで、その作り手にいれることの幸せを感じれずに去ってしまった彼女は最高にもったいないし、そうさせてしまったオトナ達はマジ頭ドンマイ。

新作映画『スパイダーマン ホームカミング』感想文 〜母性本能をくすぐってくる蜘蛛少年!ここに参上!〜

大人の事情により急遽、MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)に参戦する運びとなった新星トム・ホランド演じるスパイダーマン。

キャプテン・アメリカの3作目ですでに姿を現したが、本作はそのスパイダーマンの初の単体映画となる記念すべき第1作目。となるのだが…そうシンプルに銘打てない独特の位置付けの作品でもある。というのも、ヒーロー映画の第1弾といえば凡人だった主人公がヒーローに成りゆく誕生物語であったのが常であるが、『スパイダーマン ホームカミング』(以下『スパホム』)ではそういったプロセスは描かれない。もうすでに主人公のピーターは特殊な能力を身につけていて、規模はどうあれ犯罪撲滅のために街へ繰り出しているところから話は始まる。

サム・ライミ版の三部作(2002〜2007)、残念ながら2作目で打ち切りとなったマーク・ウェブ版(2012〜2014)のどちらもでピーターは特殊な蜘蛛に噛まれ、能力を手にし、ヒーローに成るか葛藤するもののベンおじさんの不憫な死によって使命を自覚し敵に立ち向かう。

つまり、ここ数年でピーターは蜘蛛に2回噛まれベンおじさんも2回殺されている。(もちろん役者も設定も全く別物だが)ピーターがヒーローに成る理由や決心はもう十分描いてきたことなのだ。(前シリーズが駄作なら別のアプローチがあるが、傑作であるゆえになおさら重複したことはやらないと決断したのは懸命)

もういいだろ!噛まれるのも、おじさん死ぬのも!ってことで、【スパイダーマン誕生秘話】は「観客が知っておくべき当たり前の事実である」を前提として今回の『スパホム』は話が進む。

本編内でも「蜘蛛に噛まれて痛かった?」「うん、痛かった」みたいな簡単なセリフのやりとりでピーターが特殊能力を得たことを簡潔に伝えてくれるし「メイおばさんをこれ以上、悲しませたくない」という1行の台詞でベンおじさんを彷彿とさせるバックボーンが語られる。

なので、全く情報を知らない人が本作を観たらピーターが特殊能力を持っている事実を知る説明的シークエンスがないため「異常に運動神経が優れた若者が金持ちおじさんからコスプレ衣装を借りて頑張っている話」として受け止められてしまう危険もある!(これはこれで観たいけど!)

それゆえに筆者は一言で「ヒーロー映画の第1弾」とは言えず、予備知識として前シリーズどちらかの1作目は観ておいたほうがオススメである。

つまり、1作目というよりは、本作は主人公の説明を省くことのできた1.5作的な立ち位置になるわけなのだが…その上で本作は何を描いているか?それは

 

「本物のヒーローへの憧れによる苛立ちと空回り」

 

である。

これはどのMCU作品にも共通して言えることだが、積み重なられてきたシリーズの世界の中でキャップやアイアンマンを筆頭に多くのヒーローが誕生し「アベンジャーズ」という単語が社会の中で当たり前のようにやりとりされるのがこの『スパホム』の世界だ。銀行強盗たちはアベンジャーズのお面を被って犯行に及び、学校の教材ではキャプテン・アメリカが使われているし、そもそも今回のヴィランであるヴェンチャーを生み出した最大の要因はアイアンマンであり、アベンジャーズであるから。

つまり、ヒーローを抜きに世界の情勢は語れない世界でそんなヒーロー軍団に憧れてもがくがうまくいかず空回りしているのが今回の主人公ピーターであり、青春時代に誰もが悩む「憧れと自分の差」を経験したことのある私たちにとって決して他人事ではない話になっている。

今までのスパイダーマンがとてつもない力を手に入れてしまった宿命を受け止める描写が割と重めだったのに対して、本作は誰もが自分を重ね合わせ感情移入できる【青春映画】として昇華させることに見事成功している。

劇中で発生するとんでもない惨事がほとんど主人公自身のミスから生じるものであり、しっかりしてよ!とは思いつつも一生懸命やってテンパってるスパイディが可愛くてしょうがなくて、愛おしくどんな人間でも母性本能が出てきてしまう。

 

だがしかし、それゆえに大アクションを期待すると肩透かしを食らうのも事実ではある。

アイアンマンがピーターに言うように「ご近所に愛されるヒーロー」の物語であるため、話が小規模気味なのは事実。一番の問題は敵となるヴァルチャーが裏で売買している武器の具体的な被害が描かれないことで、彼を倒す意味が薄くなるという点。しかも、ヴァルチャーはアイアンマンことトニーが職を奪ったせいで家族を養うことができなくなり、止むを得ず武器の売買という犯罪に手を染めている。社会構造が生み出した不運なヴィランという設定に深みはあるものの、劇中で明かされるある理由も相まって、スパイダーマンが彼に立ち向い、勝利する過程のカタルシスが少ないことは否めない。

また、今回はピーターのメンター的役回りでアイアンマンが登場するのだが【心強すぎるセイフティーネット】となってしまい、主人公スパイダーマンが極限まで追い込まれることができない。どんなに危機的状況になってもアイアンマンがいるとお客さんを安心してしまうのは痛いし、クライマックスの貨物機墜落場面を観ていてもアイアンマンなら察知して飛んでくるでしょ?と勘ぐってしまう。

ヴァルチャーをもっと悪党にして、被害を出せばアベンジャーズやアイアンマンの出番になってしまいスパイダーマンに出る幕はなくなる。なので、悪党のレベルを下げる。けど、主人公のメンターの役割、憧れの対象としてアイアンマンは出しておかなきゃいけないので登場させてファンが喜ぶ見せ場は用意する。この要素が映画の矛盾と隙間を生み出してしまっている。

ただし、これだけ拡張されすぎたMCUを食わず嫌いしてしまう人は多いので、『スパホム』はシリーズをハマる入り口としてはベスト!

先述した「憧れと自分の差」というテーマは他のヒーロー映画第1弾にはない味を醸し出しており、こんなに応援したくなる【おてんばダメダメヒーロー】は今までかつてないので、劇場でピーターを応援しに行こう!