映画コラム

ディズニー仕切りによって動き出したSTAR WARSの新章の一発目であるエピソード7『フォースの覚醒』を食らった後、シリーズの出発点であるエピソード4の前日譚を描いた『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』を鑑賞し、結果的にこの2作が対比となってしまい、自分があることを感じていることに気づいた。

 

  

 

「選ばれし者の物語」に自分は呆れているのかもしれない。

ここでいう「選ばれし者」というのはもちろんスカイウォーカー家の皆さんに対してである。

今年末に公開される予定のエピソード8『最後のジェダイ』もそしてその次の9も結局、STAR WARSサーガというのは親戚同士のどつき合いだと割り切ってしまいそうになっている自分が怖い!どうしよう!何も感じなくなったら!

特別な血筋で生まれた者たちによって銀河の命運が決まるという話。

現実は本当にそうだろうか?

本当は、『ローグ・ワン』のように特別な人間ではなく名もなき庶民によって世の中は回っているのではないだろうか。

筆者個人としては皮肉にも『ローグ・ワン』によって、そういった問題を浮かび上がらせてしまっているようにも感じた。

もちろんスターウォーズの楽しみ方は人それぞれだし、あらゆる角度からも楽しめるのが本シリーズの強みだし、筆者もそのトリコになった1人であるから、シリーズ自体を否定するわけではない。

だが、この手の神話的な話がベースになっている作ファンタジー作品は基本的に選ばれし者、特別な力を持った者の話であることに違いはない。

そんな時に現れたのがアメコミ映画の1作『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』な訳である。

女好きでゴロツキだった負け組代表主人公のピーター。彼でなければ犯罪者どもをまとめることはできないし、何の力もない不良達が銀河を救うというプロットに興奮気味だったのだが、1作目のラストで「ピーター、君のお父さん地球人じゃなくてすごい人っぽいよ!」って言われてて、わ…またか…って思ってしまった。それでも大好きな作品ではあったから、気にしてなかったけど2作目が出るまでずっと心の中はもやもやしてた。

なんだよ、結局サラブレットの話か。

 

そして、続編で登場するカート・ラッセル演じるピーターの父 エゴ。

ん?

これがピーターが思いを馳せていた父?

胡散臭いぞ…?

あれ?

イメージでは、ピーターの父ってのはもっと高貴な雰囲気で…。ダース・ヴェイダーのパターンだとしても元は立派なアナキンだったわけだから…。

これは…元からすでに胡散臭い!

ていうか、カート・ラッセルは最近のワイルドスピードシリーズでもなんだから信用できるタイプの役じゃないし、タランティーノの『デス・プルーフ』では若い女の子たちを車で追い回して興奮する変態野郎だったし……。いっつもなんか信頼できない!このキャスティングは……

て、思ってたらまさかの的中で、父エゴは…

 

銀河を駆け巡るヤリチンだったんだ!

 

まぁ、目的のあるヤリチンなんだけど…このカウンターパンチは素晴らしい。1作目の壮大な話が始まる感はただのフリだった!

しかも、どんなにゲテモノ星人でもかまわず穴があればぶち込む変態野郎(息子もその血をちゃんと引くという伏線あり)でピーターの母を一番愛してた。とかぬかすくせにその愛する妻を自らの手で殺したというサイコパス!

自分の目的達成のためなら、快楽のためなら人のことは顧みないという徹底ぶりで、女子会で「あの男サイテーだよね〜」とディスられるわかりやすい基準の根っからクソヤリチンです!

そんな父をピーターはちゃんと粉々にするし、父から受け継ぐはずだった偉大な力も捨てて一般人に戻るわけです。

気持ちイイ〜!!!

『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー: リミックス』はこういったジャンルの映画に付きまとっていた【素敵な血筋の子孫が世界を救う】ていう根本的なテーマをぶち壊してくれたのです。

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