新作映画『パトリオット・デイ』感想文 〜今、観るべき「俺たちの街をナメるんじゃねぇ!」映画〜

 

『パトリオット・デイ』

2013年に発生したボストンマラソン爆弾テロ事件。発生からたった102時間で犯人逮捕に至ったことの顛末を描く事実をベースにした作品だ。

誤解を恐れずに言うならば、とんでもなく面白い傑作だった。

 

マーク・ウォールバーグ演じる主人公は殺人課の刑事。はっきりとは説明されないが、どうやら上司にたてついて定職処分を受けた過去があるらしい。映画冒頭、主人公は容疑者のドアを蹴破るが…

 

「い…いってぇ!」

 

調子の悪かった膝が痛む。普通の映画ならここは無傷ですんなりとドアを壊し、犯人逮捕までスムーズにいくのだが…そうはいかないようだ。本編中、この主人公は片足を引きずりながら捜査を続ける。

このシーンで提示されるのは「この物語はフィクションではない」ということ

フィクション映画なら、ドアを蹴破ることは用意だが現実はそうはいかない。この映画設定は物語にも直結する重要なメッセージだ。

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ウォールバーグ演じる主人公は実際には存在しなかった架空の刑事。彼はこの映画の冒頭での【宣言】ともう2つ役割を背負っている。

それは、発生した爆破事件解決に介入するFBIに向かって「地元ナメんなよっ!」と牙を向く象徴としての役割である。

この地元ナメんなよ!精神はこの映画の白眉だし、根っこにあるテーマだ。

「俺たちの街・ボストンはおれたちの手で守る」

涙が止まらないラストでも出てくるこの精神が本作を支えている柱である。

そしてもう1つの役割。

別のシーンで「絶対に犯人を捕まえてやる!」とか「憎しみに対して対抗できるのは愛だ」だのなんだのと、緊迫した当事者がその場で言えないような悟った冷静な台詞を口にする。主人公以外の人物にこのような感情的な言動はあまり見られず極めて静かでリアルだ。

テロで亡くなった幼い子供の遺体を見張る警官は言葉でなくその表情だけで憤りを表現しているし、被害者となる市民たちは「どこにでもある小さな幸せ」を生活やりとりで見せてくれる。老人警官を演じるJ・Kシモンズが九死に一生を経たあとも、自宅での妻とのハグだけでその哀愁を感じさせる。

つまり、主人公のマーク・ウォールバーグはこの事実の物語をよりエモーショナルにし、アクティブにするための【実在しない】狂言回し的存在だ。

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筆者はボストンテロがどのような終わり方をしたのか知らなかったため、作品を観てる時に先が読めず胸の鼓動を抑えきれなかったし、テロを起こした若者2人が異常に恐ろしかった。訓練を受けず、仁義もない弱き者の憎悪は何をしでかすかわからない分、恐ろしい。

その若者に踏み潰されていく被害者に胸が痛みながらも、とんでもなく映画的でスリリングな逃走劇を目にしながら手に汗握った。

そして、地元警官が「俺たちの街をナメるんじゃねぇ!」と市民の協力を得ながら戦う姿、特にクライマックスの銃撃戦に胸が熱くなり、ラスト10分近くに及ぶ当事者のインタビューで現実と虚構がクロスし、涙が抑えられなかった。

ちなみに、個人的に1番よっしゃー!いけー!と心の底から映画を応援したのは、中国人の場面。

彼の「ファ○ク ユー!!」に心打たれ、拍手を送りたくなった。よっしゃ!よくやったぁぁ!

各国でテロが発生し、私たちの住む日本でテロ準備罪法が可決された今。本作は私たちの胸を打ち、考えさせてくれるものがある。

 

地元警察、万歳!!!

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