映画コラム

前作の感想文がコチラ。↓

映画『家族はつらいよ』感想文 〜天才・渥美清を失った山田洋次監督による20年ぶりの喜劇〜

 

タイトルのフォントが渥美清主演の伝説的シリーズ『男はつらいよ』を彷彿とさせる。

『家族はつらいよ』シリーズ山田洋次監督が自らの手で行う寅さんの現代版リメイクのようにも読み取ることができる。

居間があって、庭があって、むき出しの階段の上には主人公の部屋がある。この間取りも寅さんの実家・葛飾柴又 老舗の団子屋さん「とらや」と全く同じだ。登場人物の関係性、キャラ設定もどことなく似ている。

『男はつらいよ』を現代でやるとしたら?というのが本シリーズと言ってもいいかもしれない。

再現とは違う。再構築という言葉が最適かもしれない。

寅さんの職業であるテキ屋で、フーテンで旅の渡り鳥。というキャラ設定をこの2017年にそのまま実行するのはさすがに無理がある。【家族の厄介者】という物語上の寅さんの役回りを、橋爪功演じる・一家の父に置き換えた。寅さんとは違い、長年勤めたサラリーマンとは言えど、喋り方や「気を遣われて遠回しに意見を言われることを嫌う」「大声で大げさに皮肉を言う」などそっくり。

面白いのが、本来なら家族と喧嘩になると「それを言っちゃあ!おしめえよ!」と啖呵を切って旅に出る寅さんに対して、本作の父は「二階の自分の部屋にこもる」という可愛い反抗で止まっている点。一方、奥さんの吉行和子は「友達とオーロラを見に行くのよ〜」と意気揚々に出かけ、ずっと帰ってこない。たまに電話がかかってきて家族を心配する様子はまさに寅さんがたまに実家にかける「達者か?」という電話のようだ。

普段、街で女友達と楽しそうに闊歩するおばさん軍団をよく見かける。

「何、言ってんのよ〜!あんた!」とワイワイ。ガヤガヤ。お互い同時に喋り、同時に笑い出し何が何だかわからない。

まるで、長年夫に支えてきたことで溜まりに溜まったフラストレーションをここぞとばかりに爆発させるように。女性の方が長生きする理由がわかったような気がしてくる。

年を重ねてアクティブになっていく本作の母を見ていると、なんだかそんな考えが頭をよぎってしまう。女性が台頭してきたことを象徴的に描いたというと少々大げさなように感じるかもしれないが、本作を見ると寅さんのように生きるに楽しそうなのは明らかに、父よりも母である。

 

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前作は「熟年離婚」という現代の社会問題をベースにしたドタバタコメディだった。今回の続編も変わらず「無縁社会」「高齢者ドライバー」といった問題を内包しながらの軽快な喜劇である……と、言いたいところではあるが、そうもいかない!

山田洋次 現在85歳という世界でも最高年齢の映画監督が、日本社会に向けて思いっきり牙をむき出しにした作品だからである。ガオオオオオ!!!

筆者は予告編やチラシをあまりチェックしてなかったので、相当驚いてしまったが、本作の後半パートで主人公の友人が死ぬ。しかも、主人公たち平田家の二階。旅行中で不在だった吉行和子のベッドの上で!のほほ〜んとしたコメディだと思って油断してた観客にとっては、頭の中が混乱するはずだ。

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山田洋次ってこんなんだっけ……?

 

寅さんを頭に浮かべる人にとってはあんまり想像できないかもしれないが、山田洋次監督は個人的に言えば【社会派】の監督である。

映画的に盛り上がりを作り出しやすい刑事や探偵、官僚など。特殊な人間を主人公に置きはしない。どこにでもいるような平均的な庶民を主人公にし、そこから見上げた【現代社会】を切り取るのが山田作品だ。

作品自体に強烈なメッセージ性はないにしても、庶民から見たリアルな社会は不条理として描かれることが多い。社会、政治は我々庶民には何もしてくれない。それでも生きていく私たち庶民。そんな風景を山田洋次は自身の作品で描き続けてきた。

しかし、本作は友人の死。そして、その友人に身寄りがないことから生じる機械的業務によって実行される葬儀に対して、主人公橋爪功は吠える。

 

「何の罪もない老人を見捨てるのか!この国は!」

 

もともと頑固で偏屈な設定だった主人公だから、こういったセリフが飛び出すことに違和感は無いが、無縁社会によって生じる「孤独死」を描いた山田洋次の国に対して直接向けたメッセージのように読み取れる。

喜劇王チャップリンを敬愛する山田洋次監督は残りの映画人生で痛烈な社会批判を叫びまくるバキバキ映画作家に成るかもしれない。

 

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