新作映画『こどもつかい』感想文 〜タッキーは○○○○○のお兄さん!有岡君は○○にしか見えない!〜

『こどもつかい』

本作の監督は「日本人が選ぶ1番怖い邦画No.1」に選ばれている『呪怨』の清水崇。

なんらかの原因で大人を恨んだ子供が「トミー」と呼ばれる謎の男(タッキー!)を通じて、その大人に呪いをかけ、その3日後には死ぬ。という怪事件を追う新聞記者(Hey! Say! JUMPの有岡大貴)が主人公なのだが、ある日彼が同棲している保育士の彼女が子供に恨まれ、呪いをかけられてしまう。といった、Jホラーでは馴染み深い設定である謎解き型ホラーだ。

怖いのが苦手な人にはオススメ!なんて言っちゃうとホラー映画としてどうなんだ?って思わちゃうかもしれないけど、おそらく作り手側もそれをわかっているから断言しちゃう。

なぜなら、本作『こどもつかい』は【ホラー】というよりも【ダークファンタジー】というジャンルが一番近く、我々がイメージするきゃー!きゃー!と怖がれるようなタイプの作品ではない。

筆者が鑑賞したとき後ろにいた女子高生たちが上映前「怖そうだね!」「楽しみだね!」ときゃっきゃしていたのだが、始まるとピタリと止み、終盤のある箇所「上ノ郷さん!」シーンでは笑ってしまっていた。

なぜそのようなバランスになっているのだろう?

数ヶ月前、筆者は本作のフライヤー、予告編で登場する謎の男・トミーを演じる滝沢秀明が、その見た目も合間ってハリウッドで言うところの【ジョニー・デップという大スターがジャック・スパロウというキャラクターを生み出した現象】と重なり合った。

役柄としてもこどもを操り、大人に呪いをかける神出鬼没の死神!子供に辛い思いをさせる大人を懲らしめるダークヒーロー!そんなイメージを膨らませていた…。

本編を観ると……ん?たしかに滝沢秀明という面影を一掃し、役柄に入りきっているけど…思ってたのとは……違う…?

ネタバレになってしまうので、あまり言えないが簡単に言うとタッキーの役柄は精神年齢が子供の道化師みたいな役。

 

子供が自分のいたずらにひっかかると「わ〜い!ひっかかった!ひっかかった〜!」滝沢大はしゃぎ。

マジックを見せる時には滝沢顔芸全開。

柱に寄っ掛かりながら、愚痴をこぼしたり、子供を可愛がる仕草は滝沢とってもチャーミング。

腰についてる猫をバルーンアートみたいに引き伸ばして、ラッパにする滝沢不思議。(その時猫はちゃんとニャーって鳴いてます)

 

……ん?教育テレビの陽気なお兄さん??普段舞台で熟練しているワイヤーアクションが素晴らしかったから、体操のお兄さんか!

馴染みのないタッキーの振る舞いに少し戸惑うが、映画が進むにつれて役側がわかってくるので、彼の言動にふむふむ。納得できる。

 

この謎の男・トミーを追うのがHey! Say! JUMPの有岡大貴演じる新聞記者とその彼女・門脇麦ちゃん。

序盤で明かされるが、麦ちゃんのお腹には有岡君の赤ちゃんが…。いやん!ラブラブじゃないか!(結婚はまだです)

有岡くんは新聞の取材、麦ちゃんは職場の保育園からこの映画はスタートするので、さぞかしイチャついてるんだろうな〜と思っていると、麦ちゃんが親から虐待を受けている児童・レン君を家で預かることに…。

「子供を預かるなら、先に連絡しろよ!」突然の展開に有岡くんはイライラしているが、レン君の面倒を2人でみていると、まるで未来を見ているようで2人は和んでいく。レン君を真ん中に、川の字で寝る3人。

 

有岡くん「いいな〜こういうのも」

麦ちゃん「さっきは反対してたくせに〜」

 

え…もしかして、ここで2人がイチャつき始めエスカレートして、レン君の前で…いやん♡…その光景がトラウマになってしまったレン君は2人を呪う?!企画物みたいなエグい展開を予想したが、もちろんそんなことは起きない。

この後、別件で麦ちゃんは呪われてしまい、2人はトミーの呪いのルーツを探る旅に出る。

おれが愛する彼女の呪いを絶対にといてみせる!!!熱い展開じゃないか!

しかし、麦ちゃんは自分のお腹に赤ちゃんがいることを有岡君に秘密にしていた。

麦ちゃんは過去に母親から虐待を受けていた経験があり、今でもフラッシュバックする。そんな自分は母親になってもいいのか。自分の子供に我が母のように手をあげたりしないだろうか…そんな不安がこの物語の彼女の足枷になっている。そんな彼女を救うのは有岡君しかいない!これは憎悪に立ち向かう愛の話なのだ…!

 

が、しかし!!

 

その愛が…弱い。

 

2人の愛が皆無。新しい命を宿しているカップルに全く見えず「え?2人さっき会ったばっかりなの?」と錯覚してしまうほど、薄くて弱い。もちろんエッチはしないし、キスもしなければ、抱擁もせず、手を握ることさえしない。

 

え?一緒に住んでるんだよね?????

 

もはや、その不器用さからも有岡君が童貞にしか見えなくなり、本当は麦ちゃんの子供は違う男との間にできた子。それを恨んだ有岡君は「このヤリ○ン!クソ女めっ〜!」と狂い叫びながら麦ちゃんを殺害し、自分も銃で自殺。麦ちゃんの遺体から子供が生まれてトミーの弟子になるというどんでん返しを予想してしまうレベル。

これじゃあ、もちろん憎悪に勝てるわけないが、もちろんラストは勝つ。どうやって勝負が決まるかと言えば、まさかの【押し相撲】で圧勝。

教育テレビが作ったホラー映画みたい。

でも、某総選挙でアイドルが結婚を発表し、日本のアイドル像が崩壊しそうなこのタイミングで有岡君がでファンの理想を一切裏切らないアイドルとしてピュアなパフォーマンスを見せてくれたことは本当に素晴らしく、拍手喝采である。

 

新作映画『22年目の告白 -私が殺人犯です-』感想文 〜新鋭・入江悠監督が映画界に叩きつけた理想的リメイク作品!〜

『22年目の告白 -私が殺人犯です-』

 

※ネタバレしないように書いてますが、勘の良い人はわかってしまうかもしれません。本作を0で楽しみたい方はそっと画面を閉じてください……

 

1980年代後半から韓国で起きた実際の未解決事件を元にした2012年の韓国映画『殺人の告白』そのパッケージからは連想しにくい外連味の溢れた不思議なバランスを持ったアクション超大作だった。

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時効を迎えた連続殺人事件の犯人と名乗る男がある日、突然姿を現し、書籍を出版。その内容は自ら犯した殺人事件の裏側を暴露する告白本だった。その綺麗なルックスと炎上商法、マスコミの煽りにより彼の登場は社会現象となっていくが、ある時「真犯人」を名乗るJが現れ、自体は一変していくというのがこの映画の内容。一見、心理戦のような内容かと思いきや、いい裏切りを見せてくれる。

冒頭のアクションやカメラ割りの荒さはマット・デイモンの『ボーンアルティメイタム』の屋根から屋根へ飛び移る逃走劇やアクションスタイルを連想させる。雨の降る中で犯人が主人公刑事を連続殺人の1ピースとして、故意に生かしておくのはフィンチャーの『セブン』 遺族が部隊を結成し、ボーガンや毒蛇、毒入り万年筆などの独特ガジェットやGPSを使った追撃は『ミッション・インポッシブル』シリーズのよう。ボーガンで犯人を狙う場面は先述したボーンシリーズに同じようなシーンがあった。中盤のカーチェイスはジャッキー・チェン的な香港映画の活劇感溢れ、ラストのトラック横転は『ダイハード3』のトンネル洪水シーンと完全に重なり合う。

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このように韓国版はハリウッドの娯楽超大作を彷彿とさせる「大味」テイストだったが、そこに韓国お得意の「復讐に囚われた人々」という人間描写とその設定の新鮮さ、大胆さ、練りに練られた展開が加わってなんとも奇妙なバランスになっている。

若干の強引さとラストの落とし前は主人公の立場上、そして倫理の面でも少し驚くが、【実際に起きた】未解決事件に対するせめて「映画の中では…」という韓国国民(広い意味での)の願望の具現化と捉えれば十分理解できる作りだ。

「実際に起きた事件」「時効」というテーマを基盤においた本作は本来なら重いトーンになるが、先述した誰もが楽しめる大味韓国流のオリジナリティによる不思議なバランスの娯楽作品である。(ポン・ジュノ監督の『殺人の追憶』も本事件を元にした戯曲が原作で、こっちはとんでもなく重くて救いようがないので、同じ実話ベースの二極化された2作品になっている)

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前置きが長くなってしまったが、この作品をリメイクしたのが入江悠監督、脚本『22年目の告白 -私が殺人犯です-』である。

2006年初の長編映画『ジャポニカ・ウイルス』への批判がトラウマになった若き入江悠は「次がダメならもう映画はやめよう」と背水の陣で挑んだ伝説の自主映画『SR サイタマノラッパー』で人気に火がつき、『日々ロック』『ジョーカー・ゲーム』『太陽』と数々の商業映画を監督してきた。

今回の新作は自主映画時代で辛酸を舐め、現場で叩き上げられてきた入江悠が現状の日本映画を変えたいという野心を抱えながら挑んだ初のサスペンスもの。

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一言で言うなら、ただの焼き回しになっていない見事なリメイク!あっぱれ!

先述した韓国版は大味な分、現実味が薄かったのに対して「もし、今の日本で時効を迎えた殺人犯が告白本を出版したらどうなるか?」というシミレーションがきちんとなされている。その証拠に2年半の間に37回もの脚本書き直しを行っている!また、犯人の心理を掘り下げていなかった韓国版に対し、監督は犯罪心理について書籍などを通じて研究し、犯行の動機を作り上げきちんと描ききった!さらに、事件を解決する重要なヒントを日本風のアレンジをし、阪神淡路大震災といった実際に起きた事実と物語をしっかり絡めている。

また、愛を叫んだり、泣いたりする邦画にありがちな不自然な感情表現は削り、あえてドライなタッチにしているところもお見事。余計な要素がなく『藁の盾』的危なっかしさもあり、展開も読めないからしっかりサスペンスに集中することができる。

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ラストの決着が違うのも注目。実際に起きた悲しい現実を映画内で咀嚼し怒りをぶつけたのが韓国版で「ある人物がある種のボーダーを超えてしまう」展開その人物に対しての救い。が結末だったが、日本版ではその「ある人物」はそこまでいかないが、「世代を超えて云々」というある人物のセリフが伏線となり、やるせない終わりになっている(ネタバレ避けすぎて意味わからない文章でごめんなさい)

犯人を追い詰める過程はスリリングで楽しめるが、彼らのやったことが結果的に正解だったのかどうかは提示されず、救いもない。つまり、グレーな着地でこの映画は幕を閉じる。この感じも…ステキじゃないか!!

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韓国版の良いところを残しつつ、アレンジをする理想的なリメイク!両作見て、甲乙つけれない。良さが違う。2本観て楽しめる!

 

また、入江悠はSR映画シリーズ、ドラマなどでは如実だが、カメラの長回しを多用する作家だ。夢を持ち、捨て、再起するSRシリーズの彼らの【終わりを知らない。もしくは終わらせ方がわからない】生き方をカットを切らない長回しによって表現しつつ、日本語ラップというまだ理解の浅い文化のある種の気まずさ。そして、また監督自身が埼玉出身という事もありローカルな土地の閉鎖感、コンプレックを巧みに描いてきた。だが、商業映画ではその作家性は出ていない。いや、あえて出してないと筆者は憶測する。前作(『太陽』は元々の物語が作家性に近かった事もあり、先述した演出法を多用してることがわかる)

監督自身の思い入れが強いSRシリーズを経て、商業映画作品をここまで撮ってわかることは、実は入江悠監督はその作品によって開ける引き出しを区別することの出来るマルチな映像作家だということ。

おそらくそれは、監督自身があらゆる映画と書籍を自分の中に蓄積している普段の訓練と一度折れかけカムバックした野心家としての情熱による力だと筆者は思う。監督の商業映画の作品群は若干、煮え切らない部分があったが、前作『太陽』と本作でようやく地に足がついた!いよいよ入江悠の時代が来た!万歳!

少々、脱線してしまったので、本作のまとめに入るが…

書きそびれたが、ノイズを中心に構成された音楽の重低音がこの映画を緊迫感で包んでいることもあり、最近にない邦画感を醸し出しているし、監督自身にとっても日本映画に対しても挑戦的な作品になったことは言うまでもない。新鋭・入江悠監督が日本映画に叩きつけた意欲作!ぜひ劇場で。

新作映画『パトリオット・デイ』感想文 〜今、観るべき「俺たちの街をナメるんじゃねぇ!」映画〜

 

『パトリオット・デイ』

2013年に発生したボストンマラソン爆弾テロ事件。発生からたった102時間で犯人逮捕に至ったことの顛末を描く事実をベースにした作品だ。

誤解を恐れずに言うならば、とんでもなく面白い傑作だった。

 

マーク・ウォールバーグ演じる主人公は殺人課の刑事。はっきりとは説明されないが、どうやら上司にたてついて定職処分を受けた過去があるらしい。映画冒頭、主人公は容疑者のドアを蹴破るが…

 

「い…いってぇ!」

 

調子の悪かった膝が痛む。普通の映画ならここは無傷ですんなりとドアを壊し、犯人逮捕までスムーズにいくのだが…そうはいかないようだ。本編中、この主人公は片足を引きずりながら捜査を続ける。

このシーンで提示されるのは「この物語はフィクションではない」ということ

フィクション映画なら、ドアを蹴破ることは用意だが現実はそうはいかない。この映画設定は物語にも直結する重要なメッセージだ。

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ウォールバーグ演じる主人公は実際には存在しなかった架空の刑事。彼はこの映画の冒頭での【宣言】ともう2つ役割を背負っている。

それは、発生した爆破事件解決に介入するFBIに向かって「地元ナメんなよっ!」と牙を向く象徴としての役割である。

この地元ナメんなよ!精神はこの映画の白眉だし、根っこにあるテーマだ。

「俺たちの街・ボストンはおれたちの手で守る」

涙が止まらないラストでも出てくるこの精神が本作を支えている柱である。

そしてもう1つの役割。

別のシーンで「絶対に犯人を捕まえてやる!」とか「憎しみに対して対抗できるのは愛だ」だのなんだのと、緊迫した当事者がその場で言えないような悟った冷静な台詞を口にする。主人公以外の人物にこのような感情的な言動はあまり見られず極めて静かでリアルだ。

テロで亡くなった幼い子供の遺体を見張る警官は言葉でなくその表情だけで憤りを表現しているし、被害者となる市民たちは「どこにでもある小さな幸せ」を生活やりとりで見せてくれる。老人警官を演じるJ・Kシモンズが九死に一生を経たあとも、自宅での妻とのハグだけでその哀愁を感じさせる。

つまり、主人公のマーク・ウォールバーグはこの事実の物語をよりエモーショナルにし、アクティブにするための【実在しない】狂言回し的存在だ。

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筆者はボストンテロがどのような終わり方をしたのか知らなかったため、作品を観てる時に先が読めず胸の鼓動を抑えきれなかったし、テロを起こした若者2人が異常に恐ろしかった。訓練を受けず、仁義もない弱き者の憎悪は何をしでかすかわからない分、恐ろしい。

その若者に踏み潰されていく被害者に胸が痛みながらも、とんでもなく映画的でスリリングな逃走劇を目にしながら手に汗握った。

そして、地元警官が「俺たちの街をナメるんじゃねぇ!」と市民の協力を得ながら戦う姿、特にクライマックスの銃撃戦に胸が熱くなり、ラスト10分近くに及ぶ当事者のインタビューで現実と虚構がクロスし、涙が抑えられなかった。

ちなみに、個人的に1番よっしゃー!いけー!と心の底から映画を応援したのは、中国人の場面。

彼の「ファ○ク ユー!!」に心打たれ、拍手を送りたくなった。よっしゃ!よくやったぁぁ!

各国でテロが発生し、私たちの住む日本でテロ準備罪法が可決された今。本作は私たちの胸を打ち、考えさせてくれるものがある。

 

地元警察、万歳!!!

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新作映画『美しい星』感想文 〜発情&覚醒!私は宇宙人だぁ!理解されない個人の世界を描いた傑作〜

※すみません。止むを得ず若干、結末に触れています。映画を予備知識なしで楽しみたい方はそっと画面を閉じてください…。

 

数々の傑作を生み出し『桐島、部活やめるってよ』で日本アカデミー最優秀作品賞を勝ち取って、旋風を巻き起こしたあと、前からやりたかった三島由紀夫のSF小説を映画化する。っていう吉田大八監督のこの流れ。

結果出して、描きたいことを思う存分にやってる感じ映画監督としてカッコイイ〜。

つーことで、話題作『美しい星』を観て参りました。

 

完全に予習なし。三島由紀夫さんの原作も未読(すみません)で挑みましたが、思ってたよりも笑ってしまう作品。

まずは、冒頭。一家の大黒柱であり「全く当たらない」と言われている天気予報士の父の誕生日を高級レストランで祝うシーンからこの物語は始まります。しかし、フリーターの長男が時間になっても来ない。「なんでフリーターなのに、遅れるんだよ」とイラつく父。と、そこに愛人からの電話が入り立席する父。

さっそく雰囲気悪い。居心地最悪。

そこに遅れて兄が到着するが、バイトのメッセンジャーの制服のまま。だいぶスポーティーで場違いな格好です。

せっかく来たのに家族は3人しか揃ってないまま、突然お店の電気が暗くなります。

そこへ誕生日祝いの大きなケーキをもってウェイターさんが、オシャレなバースデイソングを歌いながら入場!周りの多くのお客さんも一家を注目していますが、祝われるべき本人がいないというとんでもない気まずい状況……。

 

ここでタイトルどん!『美しい星』

 

こりゃ笑っちゃいますよね。

ここキーポイントなんですが、ラストのとある展開まで家族4人が映ったショットは一切ない。この冒頭でバラバラな家族であることがここで示唆されます。

 

そんなある日、ポンコツ天気予報士の父が自分は火星人であることを悟るわけです。愛人をホテルでガンガン抱きまくり、彼女を車で送る帰り道に謎の光に包まれ、気付けば翌朝。

田んぼに車ごと突っ込んでいる。愛人は何も覚えてない。筆者的には愛人とのエッチが気持ち良すぎただけだろ!と思っていましたが、どうやらそうじゃないらしい。職場にいるUFOマニア後輩からの入れ知恵もあり、そこから父は宇宙の神秘へとのめり込んでいく。しまいには、自分が火星人であることを悟り、天気予報の生放送中に暴走して温暖化がどうのうこうのと地球人にメッセージを発する始末。

謎のV字のポーズを取る場面や、見守るスタッフが最初は止めもしないで「あ。またやった」っていうくだりはシュールで笑ってしまいます。

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そして、兄貴はプラネタリウムで美人な姉ちゃんとデート中。上映が始まると、キスしまくり相手の股間に手を突っ込んでモミモミ。そこで相手の女性が立ち上がり、「顔だけのフリーターが、ホテル代ケチってこんなところで済ませようとしてんじゃねーよ!」とブチ切れます。

おお…。天下の亀梨くんにそんな発言を…!!

兄はとんでもなく気まずいまま止むを得ずプラネタリウムの金星を見つめていると…あれ、おかしい。金星が迫ってきます。ぐぉぉぉおおおっと大きくなる。こわいこわいこわい。

そこで彼の中にあったものが芽生えるわけです。

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そして、娘。美しい容姿ゆえに大学のミスコンにエントリーするようスカウトされるんですが、そんなものは知らんぷり。

彼女にも恋い焦がれる相手が。それは名もわからない素性もしれない路上ミュージシャン。しかし、そのミュージシャンは今夜を限りに金沢へと帰郷してしまう。思わず彼のCD『金星』を買い(半強制的でしたが)さっそく自宅で聴くと、何やら気持ちがぐわ〜っと盛り上がり、翌日には彼のいる金沢へ飛んでいきます。そこで、彼は彼女に「僕も君も金星人なんだ」と…。

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余談ですが、このミュージシャンは後にとある素性が明るみになるんですが…どっかで見たことある顔だと思ったら…

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三浦友和が最高のクズを演じた『葛城事件』で無差別通り魔を犯す若葉竜也さんでした。

 

で、面白いのは3人とも「異性への発情の果てで覚醒する」という共通点。

異性に対してムラムラ〜っときたと思ったら「あ。あたし宇宙人」と悟り始める。原作未読なんで、詳細はわかりませんが、この共通のきっかけ面白い。

 

そして、母は…?と思ったら、彼女は友人の勧めにより「美しい水」を売り始めます。はい、マルチ商法にハマり始めるのです!イェーイ!

自宅に100ケースもの美しい水を仕入れ、大量に売りさばき、組織から表彰されるほど上り詰める。

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そして、このあと彼ら4人がそれぞれ信じていたモノはあっけない形で崩壊していくんです。

全体を通して「信じているモノの脆さ」をシュールに描いてる。

だけど、人間は何かを信じることで人生に輝きと意味を見いだすしかない。

SF小説とは言いますが、宇宙船がやってきて戦ったりとかっていう皆さんがイメージするハリウッドのSFモノとはちょっと違う。「宇宙」という超俯瞰的な視点から人間を冷静に見ることで、私たちに「問い」を投げかけてきてくれる哲学的な内容になっています。

例えば、メン・イン・ブラックみたいな佐々木蔵之介さんは宇宙人で「地球の環境が美しのではない。地球の環境を美しいと人間が勝手に思っているだけだ」というような台詞があるんですが、ちょっとハッとしますよね。映画を観ていると、蔵之介さんの説得に言い負かされ引き込まれそうになるんです。その問題的に関しては、結論出ないですがクライマックスのリリー・フランキーさんが演じる父が車の中で放つある台詞によって、「あ。人間は生きてていいのかも」とほんの少し思える作りになっています。

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お父さんの最初の宇宙船との遭遇やラストのある展開はスピルバーグの『未知との遭遇』を思い浮かべます。宇宙人の存在を主張するが、周りからは理解されない。しかし、その先にあるモノ…。という映画の流れも酷似しています。これ日本で描いた非常に現実に寄せた『未知との遭遇』と言っていいと思います。

他人からは理解されない何かを信じた先に一体何が待ち受けているのか、という。

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そういう意味で言うと、吉田大八監督らしい作品だなと思います。吉田監督は常に、マイノリティにスポットを当ててきました。その人にしかわからない独自の世界をずーっと映し出す。

菅野美穂さん主演の『パーマネント野ばら』は夫に固執する主人公の姿を徹底的に狂ったように描いているし、『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』では妹を演じた佐津川愛美ちゃんの世界がラストで爆発されますよね。代表作『桐島、部活やめるってよ』も映画部もそうだけど、東出昌大くん以外の生徒独自の世界を強烈に描くことで、彼の空っぽな世界を強調してます。

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まとめるとですね、【他人からは理解されない個人独自の世界とその覚醒】にスポットを当てるのが、吉田大八監督の作家性と呼べるのはないでしょうか。だから、我々は作品ごとに没入してしまう。自分に当てはまる部分を観客が自然と見つけてしまうから。

本作では「私は宇宙人なんだよ」という本当に誰からも理解されない次元で悟った人物たちが中心で描かれます。

しかし、そんな4人がラストのとある展開で1つの画面におさまる。つまり、バラバラだった家族4人。社会的にも浮いてしまった4人それぞれが集合することで一致団結する様に不思議と目頭が熱くなってしまいます。

 

クスっと笑えて、気付けばどんどん引き込まれ「本当にこの星は美しいのか?生きていくべきなのか?」と考えさせられる。その答えは描かれませんが、ラストでふっと救われる。近年あまりない不思議な映画です。ぜひ劇場で。

 

新作映画『家族はつらいよ2』感想文 〜現代社会に向けて牙をむき出した85歳の映画監督・山田洋次〜

前作の感想文がコチラ。↓

映画『家族はつらいよ』感想文 〜天才・渥美清を失った山田洋次監督による20年ぶりの喜劇〜

 

タイトルのフォントが渥美清主演の伝説的シリーズ『男はつらいよ』を彷彿とさせる。

『家族はつらいよ』シリーズ山田洋次監督が自らの手で行う寅さんの現代版リメイクのようにも読み取ることができる。

居間があって、庭があって、むき出しの階段の上には主人公の部屋がある。この間取りも寅さんの実家・葛飾柴又 老舗の団子屋さん「とらや」と全く同じだ。登場人物の関係性、キャラ設定もどことなく似ている。

『男はつらいよ』を現代でやるとしたら?というのが本シリーズと言ってもいいかもしれない。

再現とは違う。再構築という言葉が最適かもしれない。

寅さんの職業であるテキ屋で、フーテンで旅の渡り鳥。というキャラ設定をこの2017年にそのまま実行するのはさすがに無理がある。【家族の厄介者】という物語上の寅さんの役回りを、橋爪功演じる・一家の父に置き換えた。寅さんとは違い、長年勤めたサラリーマンとは言えど、喋り方や「気を遣われて遠回しに意見を言われることを嫌う」「大声で大げさに皮肉を言う」などそっくり。

面白いのが、本来なら家族と喧嘩になると「それを言っちゃあ!おしめえよ!」と啖呵を切って旅に出る寅さんに対して、本作の父は「二階の自分の部屋にこもる」という可愛い反抗で止まっている点。一方、奥さんの吉行和子は「友達とオーロラを見に行くのよ〜」と意気揚々に出かけ、ずっと帰ってこない。たまに電話がかかってきて家族を心配する様子はまさに寅さんがたまに実家にかける「達者か?」という電話のようだ。

普段、街で女友達と楽しそうに闊歩するおばさん軍団をよく見かける。

「何、言ってんのよ〜!あんた!」とワイワイ。ガヤガヤ。お互い同時に喋り、同時に笑い出し何が何だかわからない。

まるで、長年夫に支えてきたことで溜まりに溜まったフラストレーションをここぞとばかりに爆発させるように。女性の方が長生きする理由がわかったような気がしてくる。

年を重ねてアクティブになっていく本作の母を見ていると、なんだかそんな考えが頭をよぎってしまう。女性が台頭してきたことを象徴的に描いたというと少々大げさなように感じるかもしれないが、本作を見ると寅さんのように生きるに楽しそうなのは明らかに、父よりも母である。

 

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前作は「熟年離婚」という現代の社会問題をベースにしたドタバタコメディだった。今回の続編も変わらず「無縁社会」「高齢者ドライバー」といった問題を内包しながらの軽快な喜劇である……と、言いたいところではあるが、そうもいかない!

山田洋次 現在85歳という世界でも最高年齢の映画監督が、日本社会に向けて思いっきり牙をむき出しにした作品だからである。ガオオオオオ!!!

筆者は予告編やチラシをあまりチェックしてなかったので、相当驚いてしまったが、本作の後半パートで主人公の友人が死ぬ。しかも、主人公たち平田家の二階。旅行中で不在だった吉行和子のベッドの上で!のほほ〜んとしたコメディだと思って油断してた観客にとっては、頭の中が混乱するはずだ。

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山田洋次ってこんなんだっけ……?

 

寅さんを頭に浮かべる人にとってはあんまり想像できないかもしれないが、山田洋次監督は個人的に言えば【社会派】の監督である。

映画的に盛り上がりを作り出しやすい刑事や探偵、官僚など。特殊な人間を主人公に置きはしない。どこにでもいるような平均的な庶民を主人公にし、そこから見上げた【現代社会】を切り取るのが山田作品だ。

作品自体に強烈なメッセージ性はないにしても、庶民から見たリアルな社会は不条理として描かれることが多い。社会、政治は我々庶民には何もしてくれない。それでも生きていく私たち庶民。そんな風景を山田洋次は自身の作品で描き続けてきた。

しかし、本作は友人の死。そして、その友人に身寄りがないことから生じる機械的業務によって実行される葬儀に対して、主人公橋爪功は吠える。

 

「何の罪もない老人を見捨てるのか!この国は!」

 

もともと頑固で偏屈な設定だった主人公だから、こういったセリフが飛び出すことに違和感は無いが、無縁社会によって生じる「孤独死」を描いた山田洋次の国に対して直接向けたメッセージのように読み取れる。

喜劇王チャップリンを敬愛する山田洋次監督は残りの映画人生で痛烈な社会批判を叫びまくるバキバキ映画作家に成るかもしれない。

 

新作映画『LOGAN/ローガン』感想文 〜大傑作!X-MEN史上最小スケール!アル中おじさん、ボケ老人、超寡黙少女のロードムービー!〜

2000年からスタートしたアメコミ原作の映画『X-MEN』シリーズ

えっくすめん。

こんなこと言ったら身も蓋もないが、声に出すのをためらっちゃうくらい、その名称はカッコイイ!と言えたものではない。

「アメコミ映画って何観たある?」と聞かれたら言うのが恥ずかしい。声が小ちゃくなっちゃう。

「え…え……えっくすめん」

X-MENはアメコミ映画近代史の先駆を切り拓いていると言っても過言じゃないくらい偉大なのに、どうしても声を大にして言えない!

もちろんアメコミなんて「すーぱーまん」だの「すぱいだーまん」だの「きゃぷてんあめりか」だのと何かとダサいんだけど、最近流行りのマーベル映画はそのクオリティとセンスによって何とかカッコイイルックを世に提供してきてくれたし、そのおかげでアメコミ映画がここまで市民権を得て、今では女の子もきゃー!カッコイイ〜!楽しい〜!と楽しめるコンテンツに成り上がった。

そんなアメコミ黄金期の礎を築いてくれたパイオニアは紛れもなくこの【えっくすめん】なんだけれども、なんだかノレない。

こんなのアメコミ映画を揶揄する一番の文句だが「コスプレ集団が暴れまわってる」という印象しか受けなかった。

さらに、人種差別や無理解、偏見といった人類史反省のメタファー的テーマも混入してきて、話はズーンと重くなり、3作目の『ファイナル・ディシジョン』ではとんでもない事になってしまった。そこからもウルヴァリンのスピンオフや冷戦という時代背景にフィクションを放り込んだ『ファースト・ジェネレーション』という傑作はありながらも、なんとも煮え切らない。

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配給会社が別である『アベンジャーズ』を中心としたマーベル・シネマティック・ユニバースがイケイケどんどんな勢いの中で20世紀FOX配給であるこの『X-MEN』シリーズは何だかヨタヨタ歩き。たまに新作が出て大丈夫か〜?と思いつつ鑑賞すると、可もなく不可もなくみたいな作品でなんとも熱がこみ上げない…

そんな中、17年間本シリーズの主役・ウルヴァリン(ローガン)を演じてきたヒュー・ジャックマンが本シリーズ卒業の作品『ローガン』が日本にやってきた!

 

 

かつて、世にいたミュータントの子供達を教育し、守る学園のハゲ校長だったプロフェッサーXも今ではヨレヨレのボケ老人。世話してくれているローガンに対して、おまえ誰だ!飯だ!トイレだ!とわめき散らし、かつての賢人みたいな雰囲気はどこいったのかとこっちはガッカリしてしまう。「君には失望したよ」というローガンに向けたセリフがあるが、それはこっちのセリフである。

そんなじじいを荒野のでけぇドラム缶に軟禁(暴走しちゃう能力を封じ込めるためです)しながら、しがないドライバーとしてせっせとお金を貯めるローガンもかつてあった自己治癒力は低下し、足を引きずりながら酒ばっかり飲むアル中おじさん。

かつての栄光を失ったグダグダの2人の元にローガンと同じ能力をもった超寡黙少女ローラがやってくる。

どうやら実験施設から抜け出し、絶滅したとされているミュータントたちが住む遠い楽園【エデン】に行こうとしているらしい。彼女を追ってくる悪の組織!(仮面ライダーがショッカーから逃げ出したと思ってくれればいいです)

「ほら!わしが言ってた新しいミュータントじゃよぉ!本当じゃったろ!わしの話は!」とわめくボケ老人を無視し、ローガンはローラを置いて逃げようとするが、ショッカー軍団にちょっと待ちなよ兄ちゃんと止められてしまう。

どんどん追い込まれるローラ。

「ローガンよ。あの子を助けるのじゃ〜」と指示してくるチャールズ。またもや無視するローガン。

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悪党の雑魚どもが家の中でコーンフレークを食べるローラの後ろにゆっくりと近づいていく。雑魚どもの手にはマシンガン……

ここでローラが暴れまくると思いきや、カメラは建物の引きショット。しーーーーん…と沈黙が続いたかと思いきや!!!

ずどどどっどどどどん!!!ウギャーーーーーーー!!!

激しい銃撃音と悲鳴が響きわたる。(ここの音だけで見せる演出に唸ります!)

扉が開くとそこにはローラが。ゆっくりと歩く彼女は何かを持っている…。

ん…?ん…?なに…??

生首!!!

転がすローラ。

ローガン「マジかよ…」

そこからのローラ無双!雑魚どもを爪でなぎ倒す!!

R指定、万歳!!!

『キック・アス』のヒットガールを一瞬彷彿とさせるが、POPな音楽は一切流れずひたすら悲鳴!悲鳴!斬撃音!

ローラの叫び。それは怒りと憎しみと殺しの本能を感じさせる魂の悲鳴!

超かわいい!!!

一瞬、危うくなったローラを助けたのは、もちろんウルヴァリンことローガン!!!

共に敵を切り裂き、なぎ倒すローガン!まるで、自分と同じ本能を感じ取り、共鳴したかのよう!

 

イェッス!イェッス!イェェェッス!!!Hooooooooooooo!!!

待ってたぜ!ローガン!!!

 

マジで映画館で叫んでしまった。熱狂した。前の席に誰もいなくてよかった!!!

車にローラを乗せ、その場を逃げ出すローガン。

 

チャールズ「その子は君にそっくりだ」

 

最高だーーーーーーーーーっ!!!!!!!

 

今までのX-MENはこの1作のためだけにあったんだ!!!

 

ここからアル中男、ボケ老人、超寡黙少女3人のロードムービーがスタートする。存在さえ危ういミュータントの楽園【エデン】を目指して。

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監督は過去作を観る限り、全然信用できなかったジェームズマン・ゴールド!疑ってごめんなさい。(でも、考えてみれば同監督作品であるウルヴァリンのスピンオフ『ウルヴァリン SAMURAI』は割と好きでした)

ジェーマン(監督の省略名)とウルヴァリン役のヒュー・ジャックマンのマンマン同士は仲良く本作の企画を練った。

 

ジャックマン「おれの引退作は今までのX-MENと違った小さい映画にしたいんだよね!」

ジェーマン 「じゃあさ、じゃあさ、西部劇の『シェーン』が俺大好きだから、そんなんやろうよ!」

 

と大変盛り上がったそうだ。やはり作家というのは雇われ仕事で指示を受けたものを生むのではなく、本当にやりたいこと描きたい事をやる方がイキイキし、結果を出すようだ。

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本編を観ればわかるが『シェーン』のなど西部劇からの影響は如実だ。列車を使ったカーチェイスやクライマックスのある展開、ラストなど。荒野をひたすら旅する設定自体が画的に西部劇である。他にもイーストウッドの『許されざる者』リュック・ベッソン『レオン』近年の名作『マッドマックス 怒りのデスロード』も彷彿とさせる。

筆者としては時代劇のDNAを感じた。

かつて、黒澤明や勝新太郎は美しさを優先する歌舞伎のような時代劇に風穴を開けた。

「人を斬る」という行為はもっと恐ろしいものなんだと。だから、椿三十郎も座頭市も実はあんまり刀を抜かない。というか、もう人を斬りたくないという想いさえ感じる。しかし、自分は斬る事しかできない。その葛藤と矛盾が哀愁を生み出していたし、ここぞって時に刀を抜き敵を斬るというのは演出としても功を奏した。

本作でのローガンもそれに当てはまる。これまでのシリーズで何人もぶった斬ってきた事実がある分「人を殺すのは辛い。怖い」という苦悩は十分伝わってくる。

冒頭で、自分の車の部品を盗み出そうとしたギャングに立ち向かうローガンが描かれるが、最初からぶった斬ったりはしない。リンチされそうになりようやく怒って人を斬る。かつて若くてギンギンだった時とはもう違うのだから、それも痛々しい。

そんな状態だからこそ、後半でローラのために吠えながら雑魚どもを斬りまくる場面に我々はとてつもないカタルシスを感じるし、ローガンの全力が伝わってくる。

「どんなに正しい事をしても人殺しの烙印が押される」という『シェーン』の引用もあった通り、ローガンは罪を重ねてきた自分の人生のケジメの付け方を模索している。死に場所を探しているのだ。どう死ぬか。誰のために死ぬか…。

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また、本作は過去作を観ていなくても楽しめるのも嬉しいところ。もちろん全部観ていた方がチャールズ、ローガンの全盛期からの衰えがわかったりするからより深まるものの、今から9作品近くも観ろというのは酷だし、しかも、えっくすめんだし……。

「これ知ってる〜?あれのあれの引用だよ〜??」なんていうオタクが喜ぶような仕掛けはありつつも、わからないからって楽しめないっていう意地悪な事にはなってない。そもそも原作を大幅に改変し、良いところだけ残し、ジェーマンとジャックマンのマンマンコンビがやりたいことをぶち込んでいるの作りなので、事前知識は必要ではない。キモいナレーションやテロップこそ使われていないものの、チャールズとローガンのやりとりの中で情勢や設定を読み取れるのも楽しさなので、初見でも全然イケる!

残念なのは、本作の一番強い敵が最近やったターミネーターを彷彿とさせるところがあって、新鮮味に欠けたところ。でも、考えてみれば演出の意図としてはアリなのかも。

 

とにもかくにも、間違いなくX-MENシリーズの最高傑作がここに誕生した!

 

これでやっと堂々と声を大にして言える。

 

 

「おすすめのアメコミ映画ある?」

 

「ローガン!」

 

「ローガン…って?」

 

「X-MENのローガン!」

 

「え。え…えっくすめん?」

 

「そう!!!X-MEN!!!イェイ!!最高!!!X-MEN最高!!!」