読んだら必ず観たくなる

【あらすじと解説】(映画.comより引用)

摂食障害に悩む女子高生が、ある女性との交流を通して解放されていく姿を描いたドラマ。女子高生の聡子は優しい家族や仲良しの友人たちに囲まれて何不自由ない毎日を送っていたが、いつしか自分が摂食障害に陥っていることに気づく。理由もわからないまま不安を募らせる聡子は、家族や友人との関係もぎくしゃくするようになり追い詰められていく。そんなある日、聡子は街で出会った危うげな女性マキと親しくなるが……。日本大学芸術学部の卒業制作「還るばしょ」で注目された塚田万理奈がメガホンをとり、「第10回田辺・弁慶映画祭」でグランプリをはじめ4部門を受賞。同映画祭で受賞した新人監督3人にスポットを当てた特集上映「田辺・弁慶映画祭セレクション2017」で劇場公開。

 

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主人公の女子高生はどこにでもいるような平凡な少女。一般的平均的な家族がいて、仲の良い友達もいるが、どこか「空」気のような存在感。

家で父と「学校どうだ?」「うん」「そうか、頑張れよ」という当たり障りのない会話を交わし、学校では友達と一緒に歩いていても、楽しい会話で先に前に行かれてしまう。

周りからイジメに遭ってる訳でもない。嫌われている訳でもない。

主人公はこの世界に埋もれている。いや、「埋もれている」というほど窮屈なものでもない。そこに「ただ漂っている」というのが正確かもしれない。

本人もそんな自分のスタンスが心地よかったりしているが、同時に苦しい。

そんな彼女は摂食障害を抱えていた。部活の顧問の先生のことが好きでダイエットをしたのがきっかけだろう。

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ちょっとした思いつきで始めたダイエットは結果的に悪魔との契約となり、止まることを知らない。次第には食っては吐き出しの繰り返しとなってしまう。

本作は上映時間125分という尺だが、クライマックスに至るまで彼女の苦しみが永遠と描かれる。

誰か彼女を救ってくれ!と観客は切望するが、先述した通り【漂うだけ】の彼女に救いの手は差し伸べられる訳がない。それがわかっているからより辛い。

途中、妹の異常を察知した兄の提案で「彼女の苦しみを解決する」家族会議が開かれる。

 

 

よし!偉い!兄貴!いいパスだ!

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憤る父。涙する母。

主人公「先に泣かないでよ。ずるいよ…」

せっかくの救いかと思いきや、逆効果となり事態は悪化。

観てるこっちも、今の彼女にかけた家族の言葉は違うとわかっていながらも「じゃあ…どうすりゃいいんだ…?」ともどかしい。

その観客の想いを代弁してくれるかのように涙する兄に筆者も目頭がグッときた。

家族会議をきっかけに、親友の家に家出をする主人公。

この学校の友人達の会話も異常にリアルなのが演出の妙だ。どんな青春映画でも言わされてる感ビンビンの不自然な若者会話にイラっとくることが多い中で、本作の若者会話は見事。もしかしたらアドリブでやらせてるのかな?

この【無作為な若者会話】のおかげで、先述した【この世界にただ漂うだけ】の主人公がより強調される作りになっている。

友人の家に居候をし、環境を変えることで病気を克服しようとする主人公だが、そう上手くはいかない。いよいよ病院に通うことになり、そこで心に病を持ったマキという女性に出会うが……

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ここからはぜひ本編を鑑賞してもらいたいのだが、本作を観て「他人の足元に灯をともせば、自分の足元も明るくなるぜ」という意味合いの昔の偉い人が言った哲学を思い出した。

暗い夜道で、誰かの足元を照らせば、同時に自分の足元も明るくなって前に進める。

「1人で灯をともして前に進むこともできるじゃんか」と筆者は勝手に思っていたが、本作を見て自分の考えは間違っていると悟った。

同じように苦しみを抱える誰かと歩むことによって自分のペースで、時には楽しく会話をしながら、自分のゴールに向かうことができる。

周りは「走れ!走れ!社会に合わせて走れ!」と揶揄する中でも、隣に誰かがいるだけで、ゆっくりとしっかりと自分の足で歩むことができるのだ。

たとえ、途中でその人とはぐれたとしても灯火を頼りにまた会えるし、相手がいなくなっても心の支柱となっていく。

本作ラストに訪れる大胆な展開は、それまで物理的な現実世界だった日常を覆し、2人だけの世界を見せるという映画でしかできないマジカルな場面で必見だ。

本編を観ながら、観客として「主人公をどうすれば救えるんだ」と憤っていたが、そもそも「救う」という偉そうな考え方自体が間違っていた。

彼女に必要なのは「共感」だった。「共に歩く」ことだった。

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「摂食障害を描きたかったのではなく、誰にでもある痛みや苦しみを表現したかった」と舞台あいさつで語る若き女性監督の塚田万理奈。

映画のラストは未来に向かって歩む主人公を、登場人物の誰でもなく監督自身が後ろから鼓舞するようなそんな感覚を覚えた。

悩み苦しむ人間にそっと寄り添う監督の優しさが垣間見えた力作だった。

 

 

 

追記

お恥ずかしながら、筆者と監督は同じ1991年生まれです。

 

 

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