
『レゴバットマン ザ・ムービー』
【あらすじと解説】(映画.com)
ブロック玩具の「レゴ」を題材に描いた大ヒット3Dアニメ「LEGO(R) ムービー」に登場したバットマンを主人公に描くアドベンチャーアニメ。寂しがり屋のくせに強がる面倒くさいヒーロー、バットマン。そんな彼のもとに、バットマンに憧れるロビンこと少年ディックがやってくる。ロビンのせいでペースを乱されるバットマンだったが、さらにそこへ、宿敵ジョーカーが宇宙に閉じ込められていた悪者たちを脱走させ、ゴッサムシティを混乱に陥れる事態が発生。街のピンチを救うため、凸凹コンビのバットマン&ロビンは立ち上がるのだが……。前作「レゴ(R) ムービー」に引き続きウィル・アーネットがバットマンの声優を務め、宿敵ジョーカー役はザック・ガリフィアナキス、相棒ロビン役はマイケル・セラ、バッドガール役はロザリオ・ドーソン、執事アルフレッド役はレイフ・ファインズがそれぞれ担当。前作でアニメーション共同監督を務めたクリス・マッケイが監督。
暗い。重い。真面目。
アメコミヒーロー・バットマンに対してこの三拍子揃ったイメージを定着させたのはクリストファー・ノーラン版『ダークナイト』三部作だ。
78年前にアメコミで生み出され、TVシリーズやティム・バートンが始めた映画『バットマン』のイメージは若い世代にとっては薄まり、原作の持つ暗さを引っ張り出したノーラン版バットマンはあらゆる映画に影響を及ぼしたし、ぼく自身も高校生の時に衝撃を受けた。
第2作目にあたる『ダークナイト』は故ヒース・レジャー演じるジョーカー。結論を出さないグレーな終わり方の。正義のあり方に苦悶する主人公バットマンのラストのしびれるカッコよさ。にぼく自身しびれた。かっくぃぃぃぃぃい!今観ても大傑作だ。
しかし、問題はその続編にあたる『ダークナイト ライジング』
ジョーカーとの戦いで悩みまくったバットマンは守るべき街ゴッサムシティに姿を現さず、8年家に引きこもっていた。というところからお話はスタートする。
は、は、は……8年!???
前作のラストには痺れたものの、あまりにも長くふてくされているバットマンにイライラした。結局、最終章となるライジングのラストでもバットマンはスッキリしない。持ち前のメンヘラを大爆発させ、悲劇のヒーローを演じたまま。彼はゴッサムを去り、現実逃避をする終わり方になっている。
1作目の『バットマン ビギンズ』でのちにバットマンとなるブルース・ウェイン少年は目の前で両親を強盗に殺されるというトラウマを背負う。本編中、彼の父が息子に語りかけた「人はなぜ堕ちるかわかるか?這い上がるためだ」という遺言であり名言が度々フラッシュバックされるのだが、結局ウェインことバットマンは暗い穴に堕ちたまま這い上がることができなかった。彼は暗い穴に堕ちたままだ。
オイ!!お前の人生はそれでいいのかっ!?
両親にその姿を見せれるのか!!
そんなバットマンによるフラストレーションをぼくは感じたまま、ノーラン監督はリメイク版のスーパーマンをプロデュースし、バットマンと同じく「ひたすら悩むヒーロー」を赤いマントの彼にも投影させてしまった。そのシリーズで登場するバットマンももちろん暗い。重い。真面目。その上、面倒くさいという歪んだ性格の味付けまでされてしまって、もうコテコテで見るに堪えない。
そんな中に現れた本作『レゴバットマン ザ・ムービー』がメンヘラ バットマンに風穴を開けてくれた!!
常に単独行動。一匹狼。頼る友はおらず、豪邸に帰って「ただいま」を放ってもだだっ広い屋敷に谺すのみ。
1人でディナーをレンジでチンして食べ、恋愛映画を1人で鑑賞。
壁にかけられた両親と3人で撮った写真をぼーっと見つめてしまうが、即我に帰り
「いかん!いかん!一生、1人で生きると決めたのだ!」
そんなバットマンに語りかける執事アルフレッド。
「あなたは家族を持つことを恐れています」
そうなのだ!彼は犯罪者に立ち向かえても自分自身と戦うことはできなかった!
そんなバットマンもゴッサム警察の新本部長・バーバラに恋をしてしまう。が、もちろんバットマンは童貞なので、恋のアプローチはうまくいかず思春期少年みたいにドギマギする。(ていうか、そもそもマスクを被って夜な夜な活動している時点でゆがんだド変態だし、人付き合いがうまくいくわけがない)
子供の頃から育ててくれた執事にひどいことを言い放ってしまうウェイン。ひょんなことからロビンという孤児を養子にもらうことになってしまい手を焼きながらも「父」として成長していくウェイン。「お互い必要だ」と思い込んでいたある友人?を傷つけてしまい、復讐されてしまうウェイン。そして、ずっと強がってたけど、映画の後半で限界を迎えてついに本音を話すウェイン……
「また誰かを失うことが怖い」
それだ!!君の本音が聞きたかったんだ!!
そういう人間らしいところが見たかったんだ!!
つまり、本作は…ノーラン版バットマンをレゴブロックという世界で再現し、コテンパンに打ちのめすという誰もが観たかった人間らしく成長するバットマン!
この「レゴブロックで再現する」という視点も秀逸だ。これを実写でやってしまったら、ただのダークナイト批判をするうちわのコメディになってしまっただろうし、生身の人間が演じるメンヘラを誇張したバットマンを観たら嫌気がさして、二度とバットマンをヒーローとして見れなくなる。マジでトラウマレベルだ。それこそ重苦しいものになっていたに違いない。
だが、レゴによるポップ化でバットマンが愛おしく見える。
マジかわゆい♡不完全であるレゴバットマンが可愛くて仕方ない。
話はそれるが、本作はレゴムービーシリーズの2作目にあたる。
勘違いしてほしくないのは、このシリーズは単なる「擬人化されたレゴブロック」ではない。レゴに魂が宿ったわけでなく、すべてがレゴで成立している世界。例えば、バットマンたちが瓦礫と一緒に落下する場面。この瓦礫もレゴだから、この瓦礫を組み合わせてロボットを作り、ピンチを切り抜ける。なんて創造的な世界だ!
クライマックスのある展開はレゴならではであり、単にレゴに喋らせたら可愛いよね〜という安易なことはしていない。
世界がレゴである意味があるのだ。
バットマンはレゴによって深くて暗い穴から助け出された。
映画のラストで流れるマイケル・ジャクソンの名曲『Man In The Mirror』に込められたメッセージを彼は生まれて78年経ってようやく手に入れた。
それは「世界を変えるには、自分を変える」というシンプルでステキな哲学だった。
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