新作映画『グリード 炎の宿敵』を観るその前に……

ぼくの顔の下にいたら滝修行ができるよ!ってくらい眼球失禁してしまった『クリード チャンプを継ぐ男』に続くロッキーシリーズ第2弾『クリード 炎の宿敵』

本作はロッキーの4作目にあたる『ロッキー 炎の友情』の続編でもあり、ロッキーシリーズのスピンオ……あああっ!!!もう!!!この説明聞いただけでいいかげんにしろ!と漫才だったらオチをつけたくなる訳のわからなさ。

本来なら、予習せずとにかく観に行きましょう!と言いたいところですが………

過去作全部観てください。

こんな乱暴な発言はしたくない!けれど、ちゃんと理由があるから話だけでも聞いて。

普通、こういう長寿シリーズSTARWARSとかアメコミ映画とかなんでも最新作が公開された時って【予備知識として】過去作を観てくださいってことはあると思うんです。

もちろん本作『炎の宿敵』もそういう側面として、過去作観てほしいってこともありますが…そうじゃなくて!!!そうじゃなくてさ!!!

ロッキーシリーズっていくら駄作と言われいる過去作もあるんですけど、それらを一切無駄にせず(黒歴史だから過去の作品のあれ無かったことにしますっていうハリウッドで最近流行りの事実修正もせず!)1作1作をうやむやにせず下から大事に積み上げていってる稀有な映画シリーズなんです!

その積み上げの一番上にいるのが今回の最新作『炎の宿敵』であって、まるで今までの過去作品はこの作品のためにあったのか…って思わせるほどパワフル!!

それでいて、奇をてらった変な展開は絶対にしない。王道から外れることはせずかつ新鮮味も持たせているという奇跡オブ奇跡!キング・オブ・奇跡 優勝!な映画なんですよ!

じゃあ、どんな積み上げしてる〜?って。

クリードシリーズでロッキーの親友アポロの息子クリードがロッキーの元に「ボクシングを教えてくれ!」と懇願しに来てロッキーは結局受け入れる訳ですけど、引退したロッキーがクリードを受け入れるのってロッキー1作目だけ観ててもわからない。

2作目で再戦して倒したアポロ。3ではもはや友情を超えた危ない関係なんじゃないか?って思わせるくらいの絆を育み、4ではその親友アポロをロッキーが死なせてしまう。

5の冒頭でロッキーは原点であるフィラデルフィアに戻ったからのちのシリーズがあるし、あそこで弟子育成と子育てに失敗したからこそクリードを育てようと思えたわけですよね。クリードにロッキーを「おじ」と呼ばせてるのは、弟子という側面だけなく距離を置かれてしまっている息子=親類という側面を足して2で割っているからです。

路上の殴り合いが映画のクライマックスとなりボクシング映画なのに、まさかのリングにはあがらず終えてしまう珍作5作目。このままじゃ終わらせれない。6作目のロッキー・ザ・ファイナルでラストリングに上がらせることで、ロッキーはリングの上でちゃんと幕引きができて、それがあるからクリードに繋げれるんですよ!5の次がクリードは……無理っしょ!

1〜4でアポロとの度を超えた友情を、5で弟子を育てる理由を、6でロッキーをボクサーとして幕引きさせてるからクリードが出来る!

1作1作をバラで観るんじゃなくて、点と点を繋げて線で観れるんです!このシリーズ!こんなず太い線で全部観れる映画……ないよ!

過去作を観て【予備知識】を積み上げるのではなく【感情】が積み上がっていって、最新作で爆発させる感覚。

なんなのよ、これ。凄すぎるだろ。

どうしてこんな奇跡が出来るかと言えばそれは明快!

シルヴェスター・スタローンだから。

 

人生どん底で俳優として芽が出ないスタローンが3日で書き上げた脚本がロッキーの第1作目。この時からロッキーはスタローンの写し絵であり2、3と作品で描かれるロッキーはスタローンの人生と重なります。

だからシリーズ最初っから最後まで通じてブレがない。

もうこういうの全部ひっくるめて、過去作全部観ることをオススメしております!

伝われ!この想い!!!

新作映画感想文『ゲヘナ』〜日本人監督・片桐裕司氏デビュー作!思い出せば出すほど嫌な気分になる呪い〜

1年くらい前にSNS上で話題になっていたハリウッドでキャラクター造形を手がける日本人・片桐裕司氏の初監督作品『ゲヘナ』の話題を目にした時、アップされていた細くて不気味なジジイの写真を観て、うぉおお観てぇ!!!と。そして、やっと日本公開!ありがとうございます!

上映中、前に座っていた感情移入しすぎおじさんが本編中に「おーう」「あーう」と唸ってくれてたおかげで怖すぎずに済みました。そちらもありがとうございます!いや…ありがとうなのか?むしろ最近の上映マナーを考えると怒るべき対象なのかもしれませんが、そんなことは遠くへほっぽりましょう!

ゲヘナ!

サイパンにリゾート施設作る気満々の奴らが下見をしに島を散策していると、洞窟を発見!

入り口で長老が祈ってて「祟りじゃ〜」とか言ってる金田一耕助バリのフラグからして絶対入っちゃいけないんだけど、会社で出世を狙っている土地開発会社の女社員ポリーナはなんとしてでもこのプロジェクトを進めたいから藤岡弘並みの勇気で洞窟へ突進!すると、そこには無数の死体とやせ細ったジジイが…!

ここからの展開は奇想天外なので内緒!

 

前半はサイパンの美しすぎる景色を引きまくりの俯瞰ショットなどを駆使しながら表現し、洞窟以降のシーンは徹底的に暗くて狭い世界を映すことで観客もいや〜な閉塞感を体感する仕掛けに。

いっこくも早くこんなところから出たい!と思わせつつもあえて洞窟内の図面を難解にし、登場人物達が今どの辺にいるのかを全く感じさせない迷宮演出も秀逸です。

先人たちが犯したこと。その上で生きている自分達の国民としての【侵略による罪悪感】迷い込んだ人物たちが抱える【過去の罪悪感】が重なり合っていき観客の持つ潜在的な恐怖を引き出しながらも、この呪いの行く末には単なる「死」が苦しみなのではないというキリスト教圏では考えづらい死生観がよく出ていて、日本人監督ならではのアイデンティティーが炸裂していると感じます。

鑑賞後、いろんな伏線を思い起こすと…嫌だなぁ…絶対に嫌だ。と尾を引くつくりに…。

映画終盤では、あまりの酷な呪いに感情移入しすぎおじさんも唸るのやめてました。たぶん今頃、あのおじさんは帰りの電車でゲヘナを思い出しながら、一人で「おーう」「あーう」って言ってると思う。それが一番怖いね。

新作映画『来る』感想文 ~原作にあったイヤ〜な部分を拡張させた【お祓いエンタテイメント】誕生!~

Jホラーと言われているジャンルにおいての貞子や伽倻子のホラー表現は「ありふれた日常に突如、非現実的存在が現れる!」ことが怖い!とされています。(もちろんこれだけじゃありませんが)

『リング』や『呪怨』さらにはJホラーをハリウッドまでのし上げたプロデューサー・一瀬隆重は自身の著書の中で『ウルトラQ』から上記で述べたような表現に影響を受けたと語ってました。

すっかり、Jホラーという言葉自体を聞かなくなった時に中島哲也監督が『来る』というホラーを撮るんだと!

ぼくはこの情報を観たときに「えっ!!??」と驚きました。

中島哲也監督は平凡な日常風景をエキセントリックに撮る人ですよね。物語は平凡でも撮り方を工夫したり、ライティングがファンタジックだったり、カットも短く切って工夫して観客を飽きさせない画作りをするというか。

これってつまり、最初に記したJホラーの表現方法とは真逆ですよね!

中島監督は日常を非現実的に描くから、非現実的な幽霊が出てきても際立たない。怖くない。だから、偉そうな言い方をしてしまうと、向いてないんじゃない?と。

それが気になって、原作を読ませていただくと、これは納得!

人間って表面上どうあれ、いや〜な部分たくさんある生き物だよね。という中島監督の作家性と同じようなテーマが原作「ぼぎわんが、来る」に内包されておりました。つまり、監督はホラーとしてではなく人間ドラマの方をやりたかったんだ!と、本作のパンフレットを確認すると、まさにそのようなことを監督がおっしゃっていました。

じゃあ、実際のところ映画版はどうだったのか?というと……これはホラーというより【お祓いエンタテイメント】でした!

誤解を恐れずにハッキリ言うと、従来のJホラー的怖さはありません。ここの部分に関しては、原作の時点でそうだったんですが主人公たちを襲う「それ」の攻撃は貞子や伽倻子のように呪い殺すという目に見えないものではなく、噛んだり、裂いたりと物理的な攻撃なんです。ちょっとしたモンスター映画とも言えるかもしれません。

そんな相手に対して人間が出来る技が【お祓い】です。

これは神主様を呼んで行う盛大なものに限らず、日常でも我々が使用する小規模なものも含んだ【お祓い】というか、ゲン担ぎというか、目には見え無いけれど無意識のうちに信じている言い伝えや習慣、それら様々なものを含んだ大きい意味でのお祓いです。

お守り、盛り塩といった我々一般人が使えるようなものもあれば、霊媒師姉妹による呪文、指輪、おまじない、儀式…と玄人による対抗手段もたくさん登場します。

これらを象徴するのは、クライマックスの原作にはなかったマンションを巻き込んだ大規模な儀式とお祓いです。ここまで規模デカくする必要ある?と笑っちゃうレベルなんですが、映画の根幹にあるテーマでもあるので仕方なし!

対処不能、理解不能、我々はひたすら怯えるだけだった貞子や伽倻子とは違って、本作の相手は戦うことが可能!

気持ちイイぜ!

ゆえに本作は【お祓い】というまくらのついた娯楽作品と言えます!

ゆえに、そこまで怖くはない!とは言いきりつつも……監督は原作にあったイヤ〜な部分を大拡張し、物語の「救い」「感動」を激減させ強烈な中島哲也味に仕上げています。

なので、幽霊は怖くなくても人間は恐ろしい…っていう、どっちにしろ怖い映画にはなっている!という結局なんなのかわからん締めくくり方をさせていただきます。

 

 

新作映画『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』感想文 〜不秩序な世界に発せられた父の言葉に涙!〜

桐島、部活やめるってよ。というタイトルを聞き、で?だから?と思ってしまったように、今回の映画『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』のストーリー「学生がカンニングしたってよ」を聞いても、…それで?だからなんなの?となってしまうのは事実だし、青春映画においてはこのような【罠】が多い。

たしかに、6つの石を集めて世界を滅亡させようとする宇宙人を阻止しようとするヒーロー達や、プルトニウムを悪用しようとするテロリストを身体を張って止めようとするスパイが活躍するような娯楽映画を観ていて、それらが作品を楽しむ基準に自然となってしまっていたら、カンニングという行為などとーっても小さいアクションだし、そもそもそれは映画になるのかよ⁉︎と懐疑的になってしまうのも無理はない。

が……

現実的な生死を体感していない青春時代を生き抜く若者には彼らなりの問題があるわけで、彼らの視点からしたらカンニングの成功、失敗は生きるか、死ぬか?という問題とほぼイコールで結ばれる!

カンニングというか、そもそも試験という文化から遠のいてしまった私たちにとっても、本作のカンニングという名のミッションは手に汗握る一流サスペンスとして描かれている。

「答えを記入した消しゴムを後ろの席の人に渡す」

序盤に登場するこれだけの動作で心臓バックバク!もちろんカット割りや音楽などのテクニックを用いた手法によって生まれた緊迫感ではあるものの、このシークエンスの前に【主人公にとっていかに試験が学歴が重要で人生に関わるか】をみっちり描いてるからこそ!

何よりクライマックスの畳み掛けは生きた心地がしない!

白人の試験官に追い回される様は、あれ?今ターミネーター観てるんだっけ?と錯覚に襲われるほど。

一度、ダークサイドの堕ちてしまった友人を憐れむ主人公との対峙も切ない名場面の1つ。

学歴主義の社会を若者という【弱者】が必死に生き抜いてるからこそ、カンニングという不正が悪いことだとはわかっているけど、致し方ない事なのか…?と。何が幸せで何が不幸なのか?わからない不秩序な状態で主人公の父が発したラストの台詞に気づけば涙が……。

競争!競争!学歴!学歴!と殺伐としていた世界に親の真心がふと表れる瞬間があるとてつもなくイイ映画、それが『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』です。

 

11/1公開!超新作映画『ビブリア古書堂の事件手帖』ネタバレ無し感想文 〜本には持ち主のドラマがある〜

古書に関することなら朝飯前、人見知りという弱点は吹き飛び、スラスラと本について喋り出すビブリア古書堂の店主・篠川栞子(黒木華)

ひょんなことからその古書店でアルバイトとして働くことになった本を読むことができないフリーター・五浦大輔(野村周平)

この2人の元に舞い込む奇妙な客人が持ち込む事件を次々と解決していくバディものが原作小説『ビブリア古書堂』シリーズです。

映画化された小説の第1巻は4編のエピソードから成り立っていて、栞子は冒頭から入院しっぱなしでベッドから動けない!大輔はそんな栞子の元に直接足を運び、客人からの依頼内容を口頭で栞子に説明すると…彼女は現場行かずして病室で事件のすべて推理をし的中させてしまうという『ボーン・コレクター』のデンゼル・ワシントンを彷彿とさせる名探偵っぷり!

フジテレビで連続ドラマ化された際はキャスティングが合ってない!と大炎上したものの、ドラマオリジナルのキャラクターを加え物語を賑やかせつつ、原作通り1話完結仕立てにしたことで原作の軽妙さを生かしたシリーズとなりました。

そして、今回の三島有紀子監督版『ビブリア古書堂』はドラマの逆手をとって、登場人物を限界まで省略し、夏目漱石の『それから』と太宰治の『晩年』この2冊にまつわるエピソードに絞り、さらには原作には無かったとある人物の背景を掘り下げることで、全く違ったディープな1本に仕上がっています!

登場人物を絞ったことでミステリーとしての意外性は希薄になりましたが、原作では描かれなかった【過去パート】をしっかり描くことで現代で扱っている2冊の本がリンクし、切ないラブストーリーが展開。全く関係ないと思っていた回想シーンがまさかの繋がりを見せてくれる驚きが!

この大胆な省略と追加は「本には持ち主のドラマがある」という原作小説の精神を最大限に具現化した結果ではないでしょうか?

「好きです!」と思ったことなんでも言っちゃう馬鹿らしいラブストーリーではなく、本を渡す時の手の力み方、実際の距離感、カツ丼…など説明に頼らず【映画ならではの描写】で男女の心の距離を表現しつつ、劇中で扱われる小説に実際にある文章や台詞を引用しながら交流を深めるという描写もお見事で、三島有紀子監督の演出が冴え渡っております!

原作ファンからすればドラマ版で足りなかった部分を補ってくれているし、初見の人からしたら、しっかりサプライズがあって楽しめる美しくて落ち着いた良作です!

 

10/6公開!超新作映画『LBJ ケネディの意志を継いだ男』〜目立たずともやるべきことを成し遂げた男の奮闘!〜

LBJ…?ケネディの意志を継いだ男…?

アメリカの大統領ジョン・F・ケネディ、JFKは馴染みがあるけど…LBJ…リンドン・ジョンソン?…ケネディの次の大統領か……。

なんだかピンとこないまま試写会にお邪魔させていただき鑑賞。

 

 

映画冒頭、エアフォースワンで空港に降り立ったケネディ大統領。

アメリカの理想を描き、そのスター性溢れるルックスからも国民から絶大的な人気があったケネディ大統領はもちろん空港の出迎えで大人気!拍手喝采!握手を求められるカリスマ大統領!

そのケネディの後ろについていたジョンソン副大統領ももちろん国民に手を差し伸べるが、誰も見向きもしない…

すねっちゃって車に向かうジョンソン。

 

か…かわいい…

 

 

切なくて涙ぐんでしまう大好きなシーン!

ケネディに比べ怖い顔で、職員の前では下ネタを連発で大胆。けれど、しっかり仕事で結果を残し【自分と違った考えの人間を切るのではなく味方として取り込んでいく】という知恵のあるジョンソンの男っぷりにハートをつかまれすっかりファンになること間違いなし!

副大統領になったものの周囲から蚊帳の外にされていることに気づき奮闘する中、ケネディ暗殺事件が発生。

幼い頃から願っていた大統領という夢が最悪の形で叶ってしまう。

もともと国民から人気のなかったジョンソン新大統領は不安を抱えるものの、周囲には一切出さない。

どこで弱音を吐くかと思いきや奥さんとの寝室。

仕事で凹むとお酒とアイスクリームを奥さんのいる寝室へ持って行き「俺なんて…」とすねながら食そうとすると、奥さんから「ダメでしょ!こんな時間に!」と叱咤されるジョンソン。

か…かわいい。

 

なんと人間味のい溢れているんだろうか!

猿の惑星、ハン・ソロ、スリー・ビルボードと荒々しい役が続くウディ・ハレルソンがLBJを好演。

最近の役とは違い、不器用でチャーミングかつ仕事にかける男を演じきっている。

実際、アメリカ国民にロマンを語り希望を持たせたのはケネディ大統領だったが、公民権法や貧困対策などの法案を成立させていったのはLBJだったそう。

目立たずとも着実に仕事をし、実現させていく男の鏡のようなLBJの奮闘をその目に焼き付けましょう!

新作映画『散り椿』感想文 〜ちょっと!これはすごすぎる!V6 岡田くんの新境地到達を目撃せよ!〜

「時代劇」

聞くだけで食わず嫌いしてしまう人もいるだろうし、いくらそれがV6の岡田准一主演だとしても広告から漂う静かな雰囲気が「なんか地味そう…」と思わせてしまうのもわからなくもない!ない!

しかし!

そんなもんじゃなかった!!!

ラブストーリーをベースにした岡田くんによるリベンジ映画でした!!!

 

監督、撮影は生きる伝説・木村大作さん。

若かりし頃から黒澤明監督の作品に撮影助手として『隠し砦の三悪人』『用心棒』などに参加し、そこからも『八甲田山』『鉄道員』など。(雪大好きな監督)本作『散り椿』は監督作としては3作目。

経歴的に【日本映画の本流】といえる映画人ならではのこだわりが随所に。

もちろんデジタルはなくフィルム撮影による独特の画面のザラつきが逆に新鮮でこれまた味わい深く、中でも黒木華が頬に流す一筋の涙はまるでCGで加工したかのように白く輝いていて美しい!(どうやってるのかわからないんだけど、おそらく照明さんとの職人技!)

スタジオは使わずオールロケという試みにより、もちろん現実味は増していて室内から映す外の葉の揺れや自然光の当たり具合など、大河ドラマ等で見飽きたスタジオにある人工的な雰囲気とは一線を画す領域。

普通は画面に役者がしっかり映るように加減して降らせる雨、雪もリアルを追求し容赦なく土砂降らせていて笑っちゃうほど。

 

 

待ってよ、待ってよ。だとしてもなんか退屈そうじゃん…と思ったそこの君!

僕もそう思ってたんですよ…岡田くんの殺陣を目にするまでは!

 

もう、本当にスゴイんだから!!

 

三池崇史監督『十三人の刺客』(2010)を観ると一目瞭然なんですが、若手の役者さんらの殺陣と違って松方弘樹さんの刀の使い方って全く違うんです。

腰が入っているというか、本当に重たい真剣を振っているんだっていう迫力がありました。

「ああ〜、やっぱり昔からの役者さんは別格だな〜」って思ったの覚えてるんですけど……

いやいや。岡田くん!!!岡田くん!!!…岡田くん!!!!

木村監督は高倉健さんを意識させたっておしゃってるんですけど、これは明らかに『用心棒』『椿三十郎』の三船敏郎さんですよ!!

 

 

刀を抜いて何人も一気に斬る一連の流れを1カットで撮るのはまんまだし、そもそも本作の御家騒動だったり、用心棒として利用される展開や、何より「椿」というモチーフは明らかにそれと重なる部分があります。(原作があるわけですが、監督の脳裏には『用心棒』『散り椿』がこびり付いていたはず)

三船さん演じる三十郎をもっと堅実にした感じが今回、岡田くんが演じる瓜生新兵衛という浪人武士。

岡田くんが自ら考えたという刀の殺陣はもちろん斬る前と斬った後の覇気がスゴイの!

度々、襲ってくる刺客を岡田くんは殺すのではなく、手首に傷を負わせて刀を握れなくさせたり打撲によって戦意を喪失させ、つまり「故郷に帰りな」という紳士な振る舞い。

なんですが……

後半、岡田くんの感情が表に出てきて【本気】で斬る場面が登場するんですが、刀を抜くときに体から滲み出るモノが全く違うんですよ!覇気というか殺気というんでしょうか?

少し猫背気味になって怪しい雰囲気を醸し出し、ためてためてヌラリと刀を抜く…

 

や、やばい!こいつ本気だ!!!

 

ってすぐわかる。すげぇ怖いの。

そんなマンガ見たいな話…と鼻で笑ったそこのアナタ!劇場で観てみればわかるから!!!

ほんとに体からなんか出てるんだって!

 

そんな殺気ガンガン放ちまくって人を斬りまくる岡田くんに対して敵が一言…

 

「鬼か…」

 

キャーーーーーーー!ばんざーーーーーい!かっくいいぃぃぃぃぃーーーーー!

 

 

 

こんなにスゴイ岡田くんを引き出してるのが、相手役の西島秀俊さん!

この2人クライマックスでエライ事になってジャンルが変わったのか!?と思うくらい激しいことになって開いた口がふさがりませんでした。

ラストで敵に下すある屈辱的な行為も(岡田くんのアイデアだって)お見事すぎて鼻血出そう。

もっと静かで画面の綺麗な美しい映画で終わると思いきや……いや〜、こういう衝撃は本当に幸せですね。

新作映画『プーと大人になった僕』感想文 〜可愛すぎるテロリスト・プーとその一味〜

昨年の映画界にとって【赤い風船】は『IT イット/それが見えたら終わり』ペニー・ワイズの恐怖の象徴でしたが、今年はその風船をプーさんにバトンタッチ!

本作『プーと大人になった僕』はペニー・ワイズの餌食になるのではなく、夢見心地な世界に僕たち観客を連れて行ってくれます。

子供の頃に100イエーカーの森でプーと仲間たちと出会ったクリストファー・ロビンは彼らと別れ、戦争、就職、結婚、子育てなどを経てお堅い大人へと成長し時間に追われる毎日。(ブラック企業が流行りまくってる日本からすると、まだまだ描写がかわいいと思ってしまうけど)

そんな妻も娘も大事にできてなかったロビンの前に、100イエーカーの森のヤツらが再び現れるのです!

 

 

社会に疲弊した人が観れば会社をやめて風船とハチミツを追いかける人生を送りたいと思うのはもちろんのこと、小さい頃に夢中になってた【何か】と決別したことある人にとってはまた違った深い味がするはず!

(幼少期に観た怪獣映画やSF映画のフィギュアやポスターで囲まれている生活を送ってる筆者からすると、なんだかずいぶん前から100イエーカーの森に一人取り残されていたような気がして恥ずかしい)

何のためにやってるのかわからない仕事に忙殺されるロビンの前に現れたプーは相変わらずのマイペースで彼を翻弄する。

口を開けば「ハチミツ」とボケ老人のようにぼやき、いざ食べたかと思いきや家の中を汚し、棚までぶち壊す!

さらには、仕事を優先するロビンに対し「それは風船より大切?」と投げかけてくるではないか!

彼らは労働社会に警鐘を鳴らすテロリストだ!

「娘が大事なんだ」と話すロビンに彼らは「大切ならなぜ一緒にいないの?」

はっ…!とした顔をするロビン。

こっちがただのぬいぐるみだと思ってナメていると、不意をつく鋭いコメントをかましてくる!

いやいや!わかってないな!大切な人のために働いてるんだよ!とこっちはロビンを応援するつもりが、プーらの目を見るとそんなお堅い理屈はねじ伏せられてしまう澄み切ったな目をしているではないか!

 

 

やめてくれ!かわいい!!!!

ぎゅーーーーってしたい!!!

一緒に寝て!!!

 

 

あれ…?死の世界へ誘うペニー・ワイズも怖かったけど、社会から逸脱させようとするプーたちの誘惑の方が本当は怖いんじゃないか…!?

 

どうしよう…。このままロビンが会社も家族も捨て、ぬいぐるみ軍団と共に社会に反旗をひるがえすようなデモ行進を始めたら…

映画のテーマ的にそこまでいっても面白いんだけれど、そこはさすがディズニー。

プーさんたちと過ごした事が吉と出て、会社にも家族にもちゃ〜んと良い結果をもたらします!

階級社会であるイギリスのピラミッド型の図式を文字通り逆さまにするという秀逸な発想もお見事。

 

みなさん、本作を堪能し幼い頃に夢中になった何かを思い出して浸ってみたらいかがでしょう?

新作映画『クワイエット・プレイス』感想文 〜全ての生活音が【死の扉へのノック音】〜

ホラーと聞いたら、幽霊や心霊現象を思い浮かべる人は多いはずで僕もその一人。

おまけにポスタービジュアルといい宣伝に「イットを超えた!」とか書かれたらより一層そっちの考えを膨らます人が多いと思います。

本作『クワイエット・プレイス』はその想定で観に行くと「思ってたんとちが〜う!」とか言われちゃうので、その考えは捨ててもらいたく思います!笑

 

これはホラーというより【体感型サバイバル映画】でした!

 

事前に解禁されている情報が少ないので、この記事でも極力ネタバレは避けますが、もし観に行く予定のある方は静か〜にこの画面を閉じていただきたい!(静かに閉じないと即死!!!)

 

 

 

 

まず、秀逸なのがこの大胆な設定。

音を立てたら即死というキャッチコピーのまんまで、音を立てた瞬間に容赦なくお陀仏!あの世行き!

(音を立てたらやってくるヤツのあの感じは部屋で騒いでるとクレームを入れてくる隣のおばさんって感じで、スゴく苛立ってていい味出てました。「もおおおおお!うるさいのよ!」って。)

この設定によりどんな日常生活の些細な動きでもすべてがスリリングになります!

歩く、お店に行く、音楽を聴く、おもちゃで遊ぶ、出産、ちょっとした生活音すべてが死への扉を叩くノック音になってしまうわけです。

最新の注意を払う緊張感もそうだし、この環境を逆手にとった主人公たちの【生きる知恵】を観てるだけで猛烈に楽しい。

防音のため道にまかれている砂、防音のためのクッション、本来邪魔になるはずの車の使い方、花火のトリック、赤ちゃん(そもそも子作り中の音は大丈夫だったんかい!どっちも静かなタイプなの?)の鳴き声対策……

この設定により本編中は静かな時間が流れ、観客である我々の息遣いまで聞こえてくるほど(ポップコーン買わなくてよかった…)の静けさ。

そういった我慢が蓄積され解放される時はダイナミックに!静かな時は徹底的に静かに!音を出す時はバカでかく!この緩急により謎の気持ち良さが胸を駆け抜けます!(こっちも我慢しるもんだから映画内で大きな音を発する時に一緒に叫びたくなる!)

 

 

特に筆者が感動したのは【音を立ててはいけない世界】のそのまた向こう側にある【音がしない世界】を描いていた事。

こんな環境下だから、みんな小声でコミュニケーションを取りながら手話を用いて会話をするんだけど、この家族の中に耳が聞こえない少女が出てくる。

冒頭で特に説明がないので最初はわからないんだけど描写が秀逸。それはまさに冒頭で少女が弟と対面して会話する場面。弟を映すともちろん静かなんだけど空気の流れの音や服や指がこすれる些細な生活音が入る。しかし、少女を映すとそういった環境音が一切なくなるんですね。軽めの耳鳴りがしてる感じ。無の世界がそこにはある。

最初観た時「ん?なんだ?」って思うんですけど、だんだんわかってくる。

彼女の世界にはそもそも音が存在しない。

これ面白い!!!

静寂の世界のその先にもう1つ奥に【本当の静寂の世界】があって、それを映像演出で観客に伝えてくれている。これは映画ならではの芸当です。

これによって彼女はこの環境下では不利であるために、より一層にスリリングさが増します。

しかも、そんな彼女を救おうとある人物が毎日努力していたとある事がこの窮地を救うキーアイテムになるという…上手い!!!素材を無駄にしてないですね〜!

ちょっとM・ナイト・シャマランの『サイン』と通じる部分が多い感じがしましたが、本作の方が密度的は高い!

つまり、この映画は【音を立ててはいない世界】という大胆な設定を生んだ上で決してあぐらをかかず、細かいディティールに凝りまくってこれでもか!ってくらい限界まで面白くしてる偉すぎる映画なんですね!

『ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー』ジェームズ・ガン監督降板がやるせない僕の理由はロケットにある!〜

「第2のスターウォーズ」とまで言わしめたMCU史上、否SF映画史上の大傑作『ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー』(以下、GotG)で監督、脚本を担当したジェームズ・ガンが過去の不適切なツイートが問題視されディズニーから解雇。

この衝撃的なニュースは世界中のファンだけでなく、シリーズの出演者まで憤慨しMARVELの社長がディズニーに再度掛け合ったものの再雇用は不成立。詳しいことは色んな記事を拝見して頂くとしまして……

実際、僕も開いた口がふさがらず憤りを感じていました。

 

ジェームズ・ガンが描くGotGの世界のあの先が観たかった。

 

こう思うのにはハッキリと理由があるのです。

ジェームズ・ガンがそれまで培ってきたトロマ映画のエッセンスも生かしつつ監督、脚本を勤めた『スリザー』(2006)は地球にやってきた謎の宇宙生命体に寄生されイカの化け物になってしまった主人公(ガンの盟友マイケル・ルーカー)が奥さんにも町民にも襲いかかってしまいどエライことになっていくというSFの良作。

愛する夫が変貌していく悲劇は愛についての傑作『ザ・フライ』を起草するけれど、『スリザー』はこの奥さんがなんだか嫌な奴に見えてくる。綺麗でおしゃれもして人妻なのに笑顔を振りまいてキャピキャピしてる。絶対まだ遊びたがってんだよ!

しかも、襲われた奥さんを助けるヒーロー野郎が明らかに奥さんをいやらしい目で見てるのにイイ感じ。

一方、主人公は冬彦さんみたいなデカくてダセェ眼鏡をかけてうだつの上がらない男。

なんで結婚したのかわからない2人が町を巻き込んだ大きな戦いの中で対立していき、切なくて全くむくわれないラスト。

 

2010年の『スーパー!』(監督・脚本 ジェームズ・ガン)は『アルマゲドン』でベン・アフレックにオヘソを遊ばれるシーンがやけにエロかったリヴ・タイラーが薬物中毒者の役。そんな美女に恋をし結婚したのがコンプレックスの塊でこれまたうだとの上がらないレイン・ウィルソン。最初は幸せだったもののマフィアの親分(マイケル・ベーコン)がリヴ・タイラーを誘惑して再び薬物の世界へと陥れる。

神のお告げを受けた夫は愛する妻を救うために自警ヒーロー【クリムゾン・ボルト】に扮して悪党をやっつける!

手作りヒーローという点で『キック・アス』っぽいけれどこれまた違う展開に。

愛のために血みどろの暴力をひたすら繰り返すボルトに我々観客含めてドン引き…。

しかし、実際にバットマンやスパイダーマンのような自主的なヒーローが現れて悪を成敗したとしたら実際はこうなっていくのか…と。ヒーローブームの今、観るととんでもなく複雑な気分になります。

ズーンと重いモノが心にのしかかりつつも心が暖かくなって涙が止まらないヒーロー映画の大傑作。

 

こういったガンの作品群は作家性があふれています。

それは常に【負け組が主人公】であるということ。

何かしらで負けた人生を送ってきた人物を主人公に据えつつ美化はしない。痛々しい部分もしっかりと描きつつその主人公がどんなに周りから攻撃を受けようとガンだけは寄り添った目線を残すのが彼の作家性だと思っています。

この『スーパー!』の次が『ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー』です。

原作は誰も知らず絶対失敗する!と周囲から言われていた難題をガンが自分の色を出したことで見事な傑作に成り上がりました。

そもそもGotGは全員が先述したような【負け組】の集団。ガンにとっては得意な素材だったのかもしれません。

2014年に公開されたVol.1と2017年に公開されたVol.2において、彼らは何かしらの【成長】をします。

孤立無援の犯罪者、社会不適合者たちがひょんなことから集まり家族になっていく過程で成長していく彼らに僕らはグッとくる。

 

主人公・ピーターは偉大だったはずの父との出会いの中である決断を。

ガモーラと敵対していた義理の妹ネビュラは絆を確かめ合い和解。

家族を殺されたドラッグスも敗北を味わう中で新たな家族を見つける。

グルートは自己犠牲の精神で仲間を守り家族になる。

ピーターの父・ヨンドゥも例外ではなく、父としての生き様を見せつけてくれます。

そう、これはガン特有の【人生で何かしらの負けを味わった人間の再起の物語】です。

会社がコントロールするMCUの監督陣の中で1番作家性を思う存分炸裂している監督と言えます。

ただし。まだこの【再起】を描いていないキャラクターがいます。

改造アライグマのロケットです。

彼の悲しい過去は未だに明かされておらず、相棒であるはずのグルートはVol.1で命を投げ打ってみんなを救うことで家族になれました。ピーターが父親に会いに行くと言い出したVol.2では1人だけ異様に拗ねている。

「お前もおれと同じ孤独なんじゃないのかよ?」

さらにはVol.2でピーターの義父であるヨンドゥと最後の会話をしたのもロケット。

その時にヨンドゥから「お前は俺と一緒だ!寂しいんだ!」とシリーズ内で初めて的確な指摘を受け動揺します。

クライマックスでもピーターが死んでしまうと心配するガーディアンズたちの横でロケットだけは誰が本当に死ぬかわかっているという、観客だけがわかる演出がなされています。

さらには、同じくVol.2のラスト。ヨンドゥを偲ぶ花火をロケットの瞳から一筋の涙を流したところでエンドロール。

そうです。なぜか本編のラストカットはロケットのクローズアップで終わるのです。

これは、まだ再起できたいない成長できていないロケットに寄り添った終わり方じゃないですか???

その証拠にガンが製作総指揮として入っていた『アベンジャーズ インフィニティ・ウォー』で生き残ったガーディアンズはロケットとネビュラなんですよ???

 

ジェームズ・ガンはまさにこれからロケットの何かを描こうとしてたんですよ!!!

 

ロケットの件にケリをつけなきゃいけなかったんです!!!

 

ガンが最後に描きたかったのはロケットだったんじゃないですか????

彼を幸せにしたかったんじゃないですか?何かしらの成長を描きたかったんじゃないですか?

キーなんですよ!ロケットは!!!

僕の仮説が正しいとしたら、こんな中途半端な終わり方は作家として本当に苦しいと思います。

(ちなみにVol.3の脚本はガンの手によって完成。実際に使用されるかは未定)

だから、ダメなんです!!!ジェームズ・ガンのためにもファンのためにも、MCUのためにも、ロケットのためにも!

ジェームズ・ガンじゃなきゃダメなんです!

James Gunn will return???